2011年4月半ば、計画停電やら余震やら不安定な日々。通常業務に加えて、海岸林の論文や資料を読み漁る日々が続き、最早、残業続きで生活は一変していた。
ある夜、共に残業の池田課長に第一級情報が入った。国際協力NGOセンター(JANIC)より、『宮城に救援物資を運ぶ民間ヘリコプターに空きがある』という。池田課長に即リアクションを頼んだ。『荷物でなく俺達を乗せてもらい、海岸林の航空調査を頼もう』と。正直言って駄目で元々と思っていた。しかし、待たされることなく、実現の方向に動いた。
混乱の最中を避け、被災地入りを調整するのは連休明け以降と決めていた。しかし航空調査ならば話は違う。
実は経験が一度だけある。2001年にオイスカが20年間植林してきたタイの東北部スリン県で全ての植林現場26個所の植林前の写真を、歴代県知事の家に訪ねてまでかき集め、陸上踏査しbeforeとafterの写真を揃えた。その後、県知事を訪ね、はしご消防車があれば(ある訳ない)、高い所から主要植林地の写真を撮りたいとお願いしてみたところ、『ヘリコプターならある』と真顔で言われ面食らった。翌日、タイ駐在員の春日さんと国軍のヘリに乗り、航空調査の意味を体で理解した。
どちらかと言えば、悪戯心が先に立っていたその時とは違い、どう考えても日本の森林史上、類のない被害を、この目で俯瞰して見ることを心から求めていた。
協力してくれたのは日本エリクソン(株)。2・3往復のメールのやり取り程度、実にシンプルで、短期間の調整の末、搭乗は2011年4月21日に決まった。
タイについては後日談があり、その県知事は2ヶ月後、『敬宮愛子様のご生誕のお祝いとオイスカの植林に感謝し日本に子象二頭を寄贈する』と記者発表。今も上野動物園で育てられている。あの航空調査のチャンスを頂いていなければ、今回も乗ろうとする発想は浮かばなかったかもしれない。

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