畑の美しさにまず目を奪われた


2011年9月29日、名取の農家代表3名と我々関係者10名、森林組合、種苗組合組合長と専務理事、宮城県庁の総勢17名で宮城県蔵王町の育苗専業農家を視察した。
私にとっては、茨城県に遊びに行ったときに苗畑の横を通ったぐいで、視察などしたこともなく、畑で女性が除草作業をしているのを見たことがある程度。
書物以外の知識はまるでなかった。
 
 
 

新しい仕事に取り組むみんなの真剣さに心も奪われた


車から降りた直後から、組合長の説明がはじまり、我々は質問をすごい勢いでぶつけていった。時間の感覚はまるでなかった。
「専業」という存在はきわめて稀である。
震災前に宮城県でクロマツを育てていたのは6人。一人は失敗して全滅させたと種苗組合の組合長から聞いていた。
「日々、まじめに取り組まなければダメなんだ」といつもおっしゃっていた。
私が林業会社に務めた2年間で、木を植えたのはわずか半日。
しかも、小学生の指導。はっきり言って、伐る仕事しかしたことがない。
(神奈川だから少々極端ですが)
経済林の苗木を育てる仕事とは、それだけ山には需要がないのが常である。
国産材の需要がもっと社会から理解されれば、状況は変わると思う。
また、野菜と違い、注文から出荷まで2~3年という非常に長いスパンがある。
当然、納品して初めて代金は支払われる。
出荷のころには需給の情勢が変わって、大幅出荷減という事もあり、
泣く泣く燃やした揚句、警察に通報されたという実話もあるという。
世間ではそういう現実は残念なことに知られていない。
今回のように当面の安定大量需要が見込まれることなど、
少なくともこの20年、30年なかったのではないか。
市民の手で苗木を作りたいという反面、これで長年生計を立ててきた人もいる。
2011年4月にはそのような現実をある程度把握したうえで行政や種苗組合と
折衝を重ねてきたが、「ともに手を取り合って海岸林の再生に力を尽くしましょう」と
この日も組合長が言った通り、種苗組合として、「オイスカや名取市の農家は
既存農家を圧迫する考え方がない」と理解していただいたことにより実現した。
私のカメラのファインダーでは見えない場面で、オイスカ以外の多くの方の
ご尽力もあったことは容易に想像がつく。
櫻井さんの奥さんは、「ここに来るまで、とっても不安だった」と打ち明けて下さった。
みんなで将来のイメージを共有した。空はすごぶる快晴だった。
決して忘れることのない有意義な視察となった。
しかし、正式な種苗組合員になり、県から種苗組合を通じて、種子の払い下げを
受けるには、まだまだ、先の道のりがある。

これ以上ない快晴であったことは忘れられない

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