(新年早々、激しい議論の話題ですみません)
自分の誕生日でもあったのでよく記憶している。
9月6日夜、仮設住宅集会所で、名取市東部震災
復興の会との意見交換の場が持たれた。
7月11日にも東京でのシンポジウムに40人で来て、
オイスカ本部で飲み明かした人たちが大半だ。
仕事を終えた皆さんが続々集まって始まるや否や、
一番奥にいた方が延々怒鳴りだして、一言だけ覚えているのは
「そんなものやれるかー」と、席を立って帰ってしまった。
根底から誤解され、唖然としたが、受けて立とうと思った。
「俺たちがボランティアをするわけにいかない」と言う方もいた。
いつもよく会う方は議論の前面に立とうとしない。
地域の中の上下関係もあるだろうし、人間だから心の波もある。
生活再建への焦りもある。
「オイスカは思いが強すぎる。一体いくらもらえるのだ?
二重で被災を受けるわけにいかない。」
堪えに堪え、冷静に応対することだけ考え、ひたすら答えた。
激しい議論につかれてきたころ、この場が初めての大友班長が
「そうは言ってもなー、俺たちはやらなきゃいけないんだよー」
という発言を始め、ほかの意見は鳴りを潜めた。
よく覚えていないのだが感動した。救ってもらった。
横にいた女性の同僚がその発言を聞いて泣いていたことを
市議から後で聞いた。
会議の後で、数人の方から「すまなかった」とお詫びを言われたが
一つの修羅場を無事切り抜けたことに安堵して、
腹など一つも立っていなかった。
この日の議論で、ただの通行人と思われていないことを確認できたから。
約20日後、それはもっとはっきりした。

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