お互いの存在を励みに ~オイスカタイの訪問を受けて~

2017年6月26日( カテゴリー: 担当者の振り返り, 海外との連携・発信 )

吉田37歳。2007年1月、10回目になろうかというタイ出張のとき。
すでに「退職」を考えて始めていた。途中で何かを辞めるという経験はなく、
すでに7年知遇を得たタイの人たちや、戦友でもある後輩たちがいる国への
複雑な気持ちを片隅に持った出張だった。
2007年1月の出張 2列目右からカヤイ君と吉田

2007年1月の出張。2列目右からカヤイ君と私


インド洋大津波から3年の、南部ラノーン県のマングローブ植林プロジェクトを、
出張の本題終了後、じっくり村々を訪ねる機会を得た。
「なんで村の人は造林の労務に参加するのか?」
この疑問を察して、タイ政府職員で県全体の海岸林造林の総責任者カヤイ君や
オイスカタイ総局が急遽応えてくれた。
当時、オイスカとの共同区域だけで700haの再造林が完成していたと思う。
4つの海岸沿いの漁村を訪ねた。傷跡は見られるが、村は元通りに見えた。
「漁獲高が減った。1回の出漁の水揚げが30分の1」
「仕事を求めて若い人は出稼ぎに行き、村には年寄りばかり」
「若い人たちが戻って生活できるよう、マングローブを植えたい」
見た目の復興とは別に、知る人ぞ知る、切迫した事情を知った。
水平線まで見渡す限りの海の森を、マングローブリサーチセンターの4階建てぐらい
あろうかという櫓に登って、「遠くを」眺めるカヤイ君の豊かな表情を今も忘れない。
2007年7月、退職するとき、タイのみんなへの言葉が見つからなかった。
完全にオイスカのことは忘れて林業労働に明け暮れていたが、
2009年、春日智実さん・ヤット君のタイでの結婚式に招待いただき、、
タイの恩人、親友、田野井君など大事な後輩たちと再会。
朝5時半までホテルのロビーで、マングローブの村人も一緒に車座になって飲み明かし、
30分だけ寝て、フラフラで結婚式に行ったことを思い出す。
そして2009年秋、縁あって、一方、恥を忍んでオイスカに復職。
すべてにおいて新入職員として。恥ずかしく、悔しいことばかりの毎日だった。
そうしているうちに震災がきた。これまでのすべてを注ぎ込むと確かに決めた。
もちろん、無意識のうちにタイでの経験を活かすことになった。
孤立無援、四面楚歌、サンドバックとなるのを覚悟し、事実そうなった。
2012年3月11日、カヤイ君、ヤット君と林久美子さんと、
初めての3.11の2時46分は、宮城で海を見ながら一緒に手を合わせた。
あの時は、私がタイの現場を励ます立場だった。
「また頑張ろうと思った。来てよかった」とカヤイが言った。
左からヤット君・カヤイ君・林久美子さん

左からヤット君・カヤイ君・林久美子さん


そして、今年、5年ぶりにそろって宮城で再会。
しかし、私の師匠、見原アイサさんは天国から参加。
6月8日、」日タイ「海岸防災林トークセッションは会場に向かって話をした。
だけど我々、自分に、お互いに、思えば天国のアイサさんにも何かを話していた気がする。
互いの存在を励みに。
オイスカ職員たるもの、みんながこういう心の世界を持っていると思う。
「あいつがいるから、アイツらが頑張っているから、俺も頑張る」
それが私たち。私たちオイスカ。国際協力の醍醐味。
オイスカタイのスタッフブログ「さわっでぃーオイスカタイ」
http://ameblo.jp/oiscathai/
*訪日記録、気長に待ってます。

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