玉虫左太夫のこと

2016年4月14日( カテゴリー: 省太のつぶやき )

玉虫左太夫

玉虫左太夫


仙台藩といえば伊達政宗をはじめ藩主の何人か、そして伊達騒動
の原田甲斐、江戸期早々にヨーロッパに渡った支倉常長。
そのくらいしか人物が思い浮かばなかったのですが、
最近、玉虫左太夫という名を目にしました。
幕末の仙台藩士です。
彼が歴史に名をとどめている大きな理由は、万延元年(1860)に
条約の批准書交換のため幕府がアメリカに派遣した使節団に加わり、9か月の旅を「航米日録」という詳細な記録に残したからです。
彼はすでに蝦夷地〈北海道)を訪ねた折の綿密なルポを書いていて、そのことで武士としては高い身分でなかったにもかかわらず、
いわば「記録係」として使節団に加わることができたようです。
当時30代後半だった彼に、
「絶好の機会だからアメリカをとことん見てやろう」
という強い気持ちがあったのも間違いないでしょう。
さて、記録の中身です。なにぶんこちらも勉強中で偉そうなことはいえませんが、一言でいえば、
アメリカの中の先進性に目をつけ、その目で日本や日本人を批判的にみつめている、
とでもまとめられるでしょうか。
しかし、左太夫を知って何より感じるのは記録に残すことの大切さです。
およそ150年前のアメリカの様子はもちろん、そこに乗り込んでいった使節団の面々の意識、
それは野望や大志であったり、驚きであったり、あるいは強者に対する卑屈であったりするのですが、
それが手に取るように伝わってくる。記録の価値は、時間がたっても色あせることはありません。
宮城県名取市の海岸林再生プロジェクトに関連して、江戸時代に始まる海岸林の歴史だけでなく、
古くからの地元の生活や風俗、習慣の移り変わりも、聞き取りを重ねて記録に残そうという作業を
先月から菊池慶子・東北学院大学教授が中心になって始めました。もちろん、海岸のクロマツ林再生の
営み自体も後世にきちんと伝えなければなりません。
仙台藩士・玉虫左太夫にはまた触れる機会があるでしょうが、
この地の先達を知ったことで、記録への意欲をかきたてられた次第です。

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