振り返りブログ 19  宮城県庁との協議

新しい場所で立ち上げる場合、信用と信頼を得るのに、経験上、3年は必要だと思っている。
別の現場で、幾度もあんまりな言葉を投げかけられたことがある。
宮城県庁はいつ何時も面会に応じ、断続的に意見と情報の交換を継続していただいた。
以前、某商社から当該部署の雰囲気は聞いていた。
地域の森林計画は県が多くの実務を行うことから、市町村との接触の前に、
じっくり県当局と話し合う必要があった。大枠合意できてから、名取市と接触するのが妥当と考えた。
まず、私たちの計画の出発点、つまり苗木生産のスキームをよく理解していただき、
必要な存在と認めてもらう必要があった。被災地農家の技術と熱意を活かし、
早急に苗木生産の担い手を確保し、育苗のスタートを切ることである。
内部で「なぜそんなに急ぐのか」と問い正されたことがあった。
行政・種苗組合・地元と何度も腹を割って話し、ともに歩むと
実際の一歩を踏み出すのには時間がかかる。
まずは何より宮城県庁。それがなければ地元は翻意する。
そして、1年に一度の播種の時期を、万端で迎えなければならない。
簡単な仕組みではあるのだが、NPOの存在が不可欠であるし、
応援いただく寄附者が必要で、平時ではこの仕組みは認められないだろう。
平時は、商品である苗木を納品しないと、働く人は対価を手に入れることは
できないが、野菜と違い苗木は2年以上かかるのだから。
我々の試算で、最も大きな被害面積の宮城県だけで必要な苗木は
600万本。それに対し、震災前にクロマツを生産していた農家は7件のみ。
4月の時点で、担い手が不足しているのは明らかと把握していた。
担い手がいないという事は、いかに山に木を植える場所がないか、
いかに木が使われていないかの証明でもある。
産業とは到底言えない規模だ。
林業種苗法に明記されているものの、新規参入者がいないため数年間開催されていない
「山林種苗生産事業者登録講習会」を開催していただくよう宮城県に働きかけ続けた。
そのためには、建前でなく、本音の意味として、種苗組合全体から
「仲間」として認識される必要があった。
2011年8月11日の協議で、いよいよ講習会開催の方針が明確になった。
それにより、「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」をプレスリリースし、
募金態勢にも入ることができると考え、9月22日にリリースを行った。

宮城県庁での協議(20011年7月)


県庁を出た後、場所がなく、スナックを昼から借りてスタッフ会議を続けた

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