※振り返りブログは、担当の吉田が執筆しております。
すぐにはお伝えできなかったことや後々のために記録しておきたいことなどを
時系列で振り返らせていただいております。
名取事務所統括の佐々木廣一さん。
初めてお目にかかったのは、2011年5月26日の初陸上踏査。
一服入れにご自宅に立ち寄った時、庭で一行はコーヒーをいただいた。
何となく、私は緊張しながら、廣一さんにオイスカの資料を手渡した。
宮城中央森林組合の佐々木勝義さんのお兄さんである。
勝義さんには、学校林の仕事で以前から懇意にしていただき、
「海岸林再生プロジェクト」でも、名取市が同組合の管区内でもあることから、
こちらの活動でもお世話になっている
廣一さんが「林野庁東北森林管理局を3月末で定年退職した」と
勝義さんから聞いていた。
2度目にお会いしたのは同年8月。
この時私は息子と娘を連れていたが、
別の目的も持って、ご自宅に泊めていただいた。
勝義さんと息子さんの秀義さん、おばあちゃんや廣一さんの奥様も交え、
深夜までオイスカのこと、海岸林のことをとことん話した。
佐々木兄弟と私が飲み出すと、しばしば、壁に穴が開くような音量になる。
「廊下まで声が聞こえる」的なネタには事欠かない人が3人も集まっても、
佐々木家は心配ない。隣家がない丘の上だから。
ご家族も平然としている。うちの娘だけが「昨日何で喧嘩してたの?」と。
勝義さんはいつも話していた。
「うちの兄貴を説得しよう」と。
私は現場にはプロ中のプロが必要と思っていた。
志だけではできない仕事だから。
オイスカも値踏みされていたと思うし、私は私で一緒にやってゆける人かどうか、
あの日以降も、間違いなくお互いに考えていた。
そののちも、9月の調査全行程、10月の170人視察受け入れ等々にご同行いただいた。
そして11月にまたご自宅へ。
その時は、もちろん廣一さんにお願いするのだが、
むしろご家族からも認めていただく気持ちで、
「オイスカの現場責任者になってください」と
静かな気持ちでお願いした。
既に「一の蔵」が2升置いてあり、話は20秒で終わった。
片手に余る、いくつもの引く手を断って、
最も条件の悪い、ゼロから立ち上げの私たちのところに来ていただいた。
「生半可な仕事と違う」
私にはもちろん、家族の皆さんにも言ったような、
あの時のこの言葉と、重みだけは片時も忘れない。

育苗場で、視察ツアー参加者に説明をする佐々木さん

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