避難所での協議を終え、翌日の現場実踏の主たるポイントを下見した後、
先程同じテーブルについた被災地の方達と名取市の居酒屋で合流することになっていた。
当方8人、先方10人で予約していた。
しかし、先方は3人しか来ないという。
難しい状況下。やむなしと腹をくくった。
しかし、振り返るに、ここでチーム海岸林のコアメンバーが固まり、
チームの基礎ができたと言える。
重要な話を聞けた。
ここ名取市の海岸林の近年史だ。
『俺達が小学生の時、自分たちも含め10年かけて村中総出で、倒されたクロマツを植えた』
のだという。その時の記念碑『愛林』が津波で倒されたかもしれないが今も広浦にあるという。
仙台森林管理署長も朝の協議で『愛林組合』という言葉を使った。
今、我々の前にいる人達は人生で二度、同じ場所で大造林をすることを半ば決意した人達なのだ。
後に名取市海岸林再生の会の会長になる鈴木英二さんからは、自らが
公民館長として編纂の中心になった地元史の本を二冊頂いた。
5月24日、行政、林業事業体との協議、午後と夜の協議。
この日1日で、基本的な方向性の大半に理解を得られ、チーム海岸林の礎もできた。
歩き方が定まった非常に重要な1日だった。
2012年7月
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