我が闘走①
いつもの吉田です。
自分事ばかりですが、いろんなことがあったので、やっぱり書きたいと思いました。
2回に分けて書かせていただきます。
●なぜ走るの?
「あんた、責任者でしょ。走んなさいよ」という声は、いまもコダマしてます。
後付けの理屈ですが、全体を預かる者として当然ということに尽きます。
それでも、大阪マラソンは、寄附先団体として選んでいただいた場。
また、これほど多くの方への広報啓発・発信の場はどこにもありません。
これまで支援いただいた方たちへ「おかげさまで、一同元気でやってます」と伝えるには、
私たちが複数でフルマラソンを走って表現するのも「らしい」かと。
●健脚
まず、姿勢や歩き方含めて、体幹を使ってちゃんと歩けなければ走れるわけがない。
一人でも歩いたけど、いろんな人に付き合ってもらいました。
赤羽、吉祥寺、高井戸…いい居酒屋も見つけたり。
歩くのが楽しく、さらに歩き好きになりました。
本格的なラン練習前の6ヵ月は、距離と連続性に適う歩きを心掛けました。
なので、ランに移行してから距離のペースアップはスムーズで、
1ヵ月後には週1で20km以上。
最初は名取の防潮堤を1往復、計10km走るのもヨレヨレで、かえって自信喪失したのに。
最後に拠り所になったのは「たくさん歩いた」ことでした。
●練習時間の確保、疲れの上乗せ
これをクリアする自信はなく、実際に一番悩みもし、工夫もしました。
日常生活そのもので練習するしかなかったです。私の仕事は工夫する余地はたくさんあるのが幸いしました。
ただ、「練習のペースが上がると、風邪を引きやすくなる」と
聞いたのですが、その通り夏場の2ヵ月で3回。
病み上がりの練習はいかに体力が落ちたかよくわかり、その都度辛かったのが事実です。
●数々のアドバイス
3年連続チャリティランナーの藤澤さん、去年走ってくれた長門屋商店の中島部長ほか
具体的なアドバイスをたくさんいただきました。トレーニングプランとレースプランを
考えるのに直前まで役にたちました。
●800人からの寄附
51万円の寄附をいただき、大阪マラソン寄附先14団体480人のチャリティランナーの
「ベストチャリティランナー賞」をいただくことができました。金額よりも人数だけは、
他団体に絶対譲りたくないと思っていました。「限りなく大勢から少しづつ協力いただく」
ことが、海岸林再生プロジェクトの最上位成果指標の一つなので。
●レースプラン
①「ずっと走り続けることに拘らない」、②「走るときは1kmを8分で」
僕の実力はこの程度。これ以上遅いのは難しいぐらいのペースです。
これを体に叩き込み、1・2km走ったら100mぐらい歩くという練習を繰り返しました。
これを維持すれば、計算上は時間内にゴールできる見通しが立つので。
●詐欺師か?
9月26日、東京本部事務所内の引っ越しで、生まれて初めて腰痛をやってしまいました。
あれには参りました。すぐに冷やして横になったのですが、「このままじゃ詐欺師になる」なと。
腰痛翌日、お医者さんから「2週間後、筋力は半減する」と。すごくショックでした。
ただ、「フルマラソン走れますか?」と聞いて、「ダメ」と言われなかったことが望みに。
●腹をくくる
以降考えました。焦ってはダメだと。「治るまで走らない」と決めました。
理学療法士から教わったリハビリと歩くことだけは今まで通り、1ヵ月過ごしました。
腰を中心に、右背中から右膝までハリとシビレが残りました。カラダは繋がっているんだと。
●自宅まで30kmを
でも内心、ずっと気持ちが沈んでいました。出場を止めようかという気持ちもありました。
ならばと考えたのは、職場から家まで30km歩いて帰ってみて、ダメならやめようと。
たまたま風が向かい風で冷たく、いまを象徴しているような気もしましたが。アメリカンドックを
買い食いした以外は歩き通しました。あの日も辛かった。でも最後の1kmぐらいだけ走りました。
足を叩きながら。家に着けてうれしかった。ゴールするときはこういう気持ちになるのかと。
途中でダメになっても出ようと決めました。17時から歩いて、帰宅は午前1時。底抜けのバカ。
それでも「腰」だから怖い。半信半疑はずっと続きました。
●ちゃんと走ってみた
ふつう、前日はあまり走らないのが定石でしょうが、事態が事態なので、私はスタートから
少なくとも5kmだけは地図を片手に走ろうと決めていました。どうしてもコースの下見もしたかった。
「最初の5km」で一日が決まると考えてました。最初に自分の走りが乱れたらずっと響く。
しかもアップダウンが一番多い。明日出るような人は道中皆無でしたが、真田丸の最前列の下、
コリアタウン鶴橋、難波、道頓堀、御堂筋を楽しんで淀屋橋まで結局7kmほどを。
ケガして以降、ちゃんと走ったのは前日でした。早く明日になれという気持ちが思い切り出ました。
このコースの予習と、練習してきた走りの復習をキッチリやったのは大きかった。
●炭水化物
2日前に大阪入りし、支援先の挨拶回りをしながら、ご飯とうどん。夜は「鶴橋風月」のお好み焼き。
前日もお好み焼き。久美子さんが「腹持ちの良いお餅と焼うどんを、明日の朝ご飯に」と注文を。
後半の空腹に備えねばならない。当日朝5時、温かくない食事でしたが、ゆっくりよく噛んで。
腹に押し込むように時間をかけて食べました。
●テーピング
本部の浅野さんは、ハンドボール部出身でテーピングが出来ます。当日朝、足の甲、膝、背中を
ケアしてくれました。テーピングしながらスポーツすることは未経験。今回初めて頼りました。
見えざる効果だったのは間違いないと実感。
●スタート地点へ
朝5時からの行動は決めていた通りに。号砲が鳴った後20分でようやくスタート地点を通過する「k」
という地区が私の集合場所。なるべく後ろに着いて、広いスペースでギリギリまでアップを。
32,000人というのはスゴイです。ランナーの一人が、子連れで、違う場所からスタート地点に
行ってしまい久美子さんと探しましたが、興奮も緊張も心地よい程度でした。