50歳。お祝いいただいたみなさんへお礼
吉田です。休日なので・・・
津波のとき、41歳だったと思うのですが、たしかあの頃か、少年野球の子どもたちから、
宮城より自分の頭に植林したほうがいいといわれたり。うまいこと言うので感心しましたが、
月日が流れ、彼らとオヤジたちと一緒に、年1・2回はお酒を飲めるようになりました。
自分はさておき、企業の担当者とか、宮城海岸林コアの人とか、津波のころの写真を見ると、
「若いなぁ」と思うこともないわけじゃないけど、話せばやはりあの頃のまま。
あっという間の8年半。長いんだろうけど、長くもなく、ついこの前のこと。
ボランティア受け入れの9月6日、50歳になりました。
自分をオジサンと思うことはあまりないのですが、
あと10年そこそこで定年という、カウントダウンの自覚は強くあります。
誕生日と言っても、おめでとうと言われたこともなければ、そう思うことなどなく。
うちの家族、僕の誕生日知ってるかな。この日、この前後、毎年名取の草刈りで家にいないし。
全然なんとも思ってなかったその日、ANAの皆さん、次の日の公募ボランティアの皆さん、職場の人たちから、50って書いたケーキをいただいたり、「竹灯り」って、私たちの第一迎賓館の居酒屋から靴下いただいたり。Mさん農家でもみんなからケーキいただいたり、現場と迎賓館で2回もハッピーバスデイを歌ってもらって。
祝ってもらうたび、固まりました。
リアクションできず・・・ほんとに恥ずかしかった。でも、嬉しかったですね。
こういうの、誕生日と重なった小学校の修学旅行以来。
あの時は、松田聖子のプロマイド、たくさん貰いました。
鈍感だから、2週間たって、この前の休みの日、なんとなく思い出し、実感がわきました。
幸せなんでしょうね。公私ともにいい仲間がいて。