オタクの休日に同行して ~草加松原編~
広報室の林です。オタクの休日に同行してきました。
まだ吉田のような海岸林オタクの域には達していませんが
“プチクロマツファン”の目線で見た草加松原レポートです。
まずはガイドさんが来ていたユニフォーム。
「草加宿案内人の会」の名前が入っています。
よくバスガイドさんが持っているような旗もありました。
案内は百代橋からスタート。
すぐに目についたのは、中央にある自転車用の
通路の途中にあるマツボックリ。
自転車が勢いよく下ってこられないような工夫なのかな??
ガイドさんによると、「ひゃくだいばし」ではなく「ひゃくたいはし」なのだそう。
ここにかかる橋は全て「はし」と濁らないのだとか。濁りのないきれいな川の水を
連想させるねらいがあるのでしょうとのことでした。
確かにどちらもにごってない!!
矢立橋の中央の自転車用通路には陶板(というのでしょうか?)が埋め込まれていました。
参勤交代の大名行列とマツが描かれていて、その上には「日光街道 草加」という文字が見えます。
祖母が埼玉県川口市に住んでおり、子どもの頃からたびたび埼玉県には遊びに来ていたものの、恥ずかしながら草加=草加せんべい程度の知識しか持ち合わせていませんでした。祖母が必ず持たせてくれるお土産はいつも草加せんべいだったことが、影響しているのかもしれません。そんな草加と私の地元浜松がこんなふうに松の街道という共通点があったなんて、急に親近感を覚えました。
私の地元、浜松にも姫街道と呼ばれる東海道の裏街道にも立派な松並木があるのです。ここはその名の通り大名のお姫様が関所を避けるのに通ったといわれる街道で、描かれるのは華やかな着物をまとった姫様道中行列という点が違っています。
中に入ると窓の上にずらっと昭和20年代~30年代ゴロを中心としたかつての松並木の写真が並んでいました。地元のおじさまたちは興奮気味に子どもの頃を話をしだします。
記憶の引き出しを時々引っぱり出すって大事なこと。故郷を大切に思う気持ちも一緒に出てくるように思うから。
私がここで気になったのは大きなマツボックリ。こちらは本物です。 手のひらが隠れてしまうようなサイズのマツボックリがたくさん箱に入れられ 「ご自由にお持ちください」と書かれていました。 これからの季節、緑色にペイントしたクリスマスツリーをつくったり、 クリスマスリースの飾りにしたりと活躍することでしょう。
↓ 左は吉田がブログに書いていた俳句ポスト。 ↓私はこんな庭園風のスペースも気に入りました。
この松並木が地元の方たちに親しまれている様子がよく分かりました。そして、この松並木がどれほど愛されてきたのかということが分かるエピソードも聞くことができました。それが分かるのが写真の柵。
本来であれば川岸に堤防を作らなければならないということで、河川を管轄する国土交通省がマツを切って堤防をつくることを提案した際、住民たちが強く反対してマツが守られたのだそう。川岸には堤防ではなくこの柵が設けられ、そして並木の反対型に植えられたマツと車道の間に石垣をつくることになったのだそう。
←その石垣がコチラ。
車道からはこのように見えます↓
お天気もよく、博識なガイドさんのおかげで(いろいろな質問に答えようと
たくさんメモを作って年代などの数字も確認しながら正確にご案内くださいました)
ゆっくりといにしえの人たちの様子を思いめぐらしながら散策させてもらいました。
“プチクロマツファン”はこの日、すっかり草加ファンになってしまったのでした。