やっぱり地元の方のご案内は替え難いですね

やっぱり地元の方のご案内は替え難いですね

10月23日、埼玉県西部の草加市、国指定名勝の「草加松原」に行きました。読売新聞日曜版の記事を読んで以来の念願でした。
というのも、2011年オイスカのボランティアバスツアー参加がご縁で
会員になってくださった舩渡さんほかの導きで、草加市社会福祉協議会主催の「災害ボランティア講習会」で講演をさせていただくことになりました。
名取に継続参加の「チーム草加」のボランティアのみなさんと林室長とともに1.4kmの松並木を一緒に歩きました。しかも「草加宿案内人の会」にガイドいただき。
歴史好きにはタマラナイ、極上の待遇。
東武スカイツリー線「松原団地」駅から歩いてすぐ「百代橋」に着きました。「奥の細道」の冒頭
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり」。
徹夜明けにはまばゆい好天。
「チーム草加」の楽しいみなさんと6月以来の再会。
完全リラックス、完全オタクの休日モード。
日光街道沿いに江戸中期から植えられた松並木。
「松原」といっても「海岸防災林」ではありません。
アカマツではなくクロマツ。
鉛筆の先のような樹形に剪定されていることに気づいた。
こういう形のクロマツは見たことがない。
「車が中を通らず、街道でこんなに残っている松並木は全国でここだけでは?」と。
日光街道の車道は松原の中を通らない

日光街道の車道は松原の中を通らない


江戸時代から生き続けているマツは40本程度。
戦中は空襲から逃れるために、並木の下にモノを隠すことができるほどの樹勢だったのが、
排ガスや松くい虫などで本数が激減し、いまは、スカイツリーが634mなのに合わせ、
条例で634本に定められたとのこと。ここまで維持できたのは行政と市民の協力があったと。
樹齢がさまざまなのもイイ。脈々と続いた人々の努力を想像できるから。
徳川家康は五街道を整備し、東海道沿いにはマツを植えたようですが、
他の4つの街道は後回しで、日光街道も江戸中期から植えられたとのこと。
旅人の日除けで植えたと思いますが「権力の象徴の意味もあったのではないか」とガイドさん。
なるほど。「信長も清州時代に道沿いに植えたそうですよ」と。
松並木の横、2m下の綾瀬川が潮の干満で逆流している。近くまでボラがくるそうだ。
伊奈忠治という二宮尊徳とならぶ地域開発の達人が治水事業を行った地域。
近年まで水害で悩まされた低湿地。街道にはまったく不向きな場所だったことでしょう。
ドナルド・キーンも、私が好きな正岡子規もここに来たことを知りました。
彼はマツそっちのけ。高浜虚子と昼飯食べて、食べ物の句ばかり書いたそうです。
いまは、松を使って街おこし。うらやましい。俳句ポストもありました。
名取にも、世界的な文化人が頼まずとも来てくれるように頑張りたい。
ちなみに名取の海沿いを通った歴史的有名人は伊能忠敬です。
みなさんと一緒で楽しかった。
一人で行っていたらビール飲んで、草の上で昼寝したかもしれない。
あまりの心地よさ。気が付いたら、1ヵ月続いた腰のハリが消えていた。
途中、半円形の橋を2つ渡るが、その上からの景色も素晴らしい

途中、半円形の橋を2つ渡るが、その上からの景色も素晴らしい

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