この地区は昭和12年、陸軍飛行場の建設に伴って農地が買収され、代替として国有林が住民の手にわたりました。
写真はその国有林の開墾に関係する記念写真で、日の丸がたてられ、右手前の標柱には
「下増田村北釜開墾耕地組合作業地」と書いてあります。
どうやら開墾に取り組むにあたって昭和14年ごろに撮られたもので、左端が泰治さんとやへのさんの
実父桜井新吉さん、左上の顔写真はやへのさんの舅の桜井文太郎さんでした。
ほかにも、多くの人が誰だかわかりました。

往時の北釜を知ることができる大切な写真です

往時の北釜を知ることができる大切な写真です


泰治  「開墾はとぐわ一丁でやって、松の根っこを起こしたんだ。
それを持ってきて乾燥させて炉端で焚いたんだね。そこでなんか煮たりね。
開墾は北釜の人が多かったけど、親戚の人もいた。『根っこやっから掘ってけや』って言ってね。
あのころは燃料がないっちゃね」
かつて、海岸林では「松葉さらい」が行われていました。
燃料にするために松の落ち葉を集めてかためる作業です。
ガスが普及して廃れましたが、いまでもお年寄りの話にはよく出てきます。
やへのさんは松葉さらいが上手だったという話も耳にしていました。
やへの 「あれが楽しかったの、うんと楽しいの。みんなでわーわーやってね。
わたしらは嫁に行ってからやったね。女の人が出られないところは男の人もやってたね。
組が西、東、前の三つに分かれていてね。やんねえと女の年取った人が熊手さ立てて
おっかけてきておこられんだよ。こらあ!って。女の長老がいるんだね、共同作業だからね。
あそこの嫁は、なんて騒ぐばあさんもいるのね」
「できあがると並べてくじ引くの。で、当たったのをとるの。誰でもいいのを取りたいけど、
共同作業だからね。それを夕方に馬車で持っていくの」
様子はわかるのですが、肝心の作業の中身がいま一つピンときません。
熊手で松の落ち葉を集めて卵型に固めたものを「カッツゲ」と言いますが、
上手な人がつくるとひもも何も使わずに崩れずに固まっているんだそうです。
このカッツゲを六つ、「スナゲ」と呼ぶ縄で束ねたものが「マル」で、
マルをずらっと並べてくじを引く、という段取りです。
カッツゲ、マル、これは実際に見ないことにはイメージが浮かびません。
作業を再現できないかと思っています。
集落の人たちは自ら海岸林の植林もしました。
「マツコ植え」と言ったそうです。漢字にすれば「松子植え」でしょう。
「やっぱり嫁に行ってからやったね。農閑期だっちゃね。穴掘って植えて普通の土を入れて、
あとは藁を風よけに立てて砂かけて飛ばないようにしてね。
砂防組合の人たちや県の人たちが指導していたね。教えてもらえばだれでもできるの。
共同作業は楽しいんだ、人の噂とかへらへら話してね。やっぱり嫁は特にね。
今の嫁は違うけど、昔は(家では)お姑さんの言うこと聞かないとね」
松林の下草刈りには厳しいルールがあったようです。
泰治  「北釜の松林には入る道が二か所あって、そこに番兵がいるんです。
組合があって会長なんかが当番でいてね。そうでないと早く入った人がバンバン塩梅よく刈っちゃうから、
6時なら6時っていうと馬車が一斉に入れるんです。勝手に刈らせないぞってね。競争なんだもの。
それを飼料にしてね。牛馬がいるからね、それに豚とかね」
楽しい話に、気づいたら二時間あまりたっていました。
ほかにも、集落には船を持って漁業を営む人が2軒あって
半農半漁でサケやホッキ貝をとっていたことなど、貴重な話がたくさんありました。(小林省太記)

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