スマトラ沖地震

2013年12月26日( カテゴリー: 本部発, 海外との連携・発信 )

広報室の林です。
担当の吉田が仙台に出張中。
緊急に何かあればメールで連絡が入るのですが、
夕方、「今日はインド洋大津波の日」という
タイトルだけのメールが送られてきました。
・・・というわけで今日のブログは留守番の林が
2004年のスマトラ沖の大津波後の復興支援について触れたいと思います。
私が静岡から東京の事務所に異動してきたのは2011年。
東日本大震災の年でした。
そしてその年の5月、私はインドネシアのスマトラ島のアチェに行く機会を得ました。
オイスカがアジア開発銀行からの資金で実施したアチェにおける
震災復興支援プロジェクトが最終年を迎え、その視察に出かけたのでした。
まだ形はなかったものの、すでに「海岸林再生プロジェクト」の構想を練っていた吉田からは
「しっかり震災復興の様子を見てくるように」と言われたのを覚えています。
CIMG0140オイスカはアチェでマングローブの植林や地域住民の生計支援につながるさまざまなプロジェクトを展開していました。ソフトシェルクラブの養殖・販路拡大、チョコレート生産・販売、えびせんべいの販売など多岐にわたっており、それぞれのプロジェクトで地元の若者が生き生きと活躍していたのが印象的でした。
もう一つ印象的だったのは、「津波は家や人々の命だけではなく、紛争も流してくれた」という声でした。アチェは震災前までは紛争が続く地域でしたが震災後は、人々の力を紛争ではなく、明るい未来をつくる復興に向けようという機運が高まったという話を聞きました。すべてを失うのは悲しいことですが、負の体制を一から作り直すことにもつながるのだと知りました。
東日本大震災のすぐ後の出張だったため、アチェの人たちは日本人だと知ると「ツナミ、サマサマ」と手を強く握ってくれました。サマサマは「同じ」という意味のインドネシア語です。「私たちも大変だったよ、日本も大変だけど頑張ってね」と言われている気がしました。
下の写真は小さな震災記念館のようなところで見た写真です。
津波で流され、亡くなった方たちの姿もたくさん写っていました。
東日本大震災後、日本の報道では見ることのなかった被災地の惨状を見た思いがしました。
CIMG0189 CIMG0183
 
 
 
 
 
CIMG0179
 
「TSUNAMI」は日本語ではなく世界で通じる言葉になりました。日本は、震災後の復興支援だけではなく、世界中で起きる地震やそれに伴う津波、他にも台風やサイクロンといった自然災害から人々の生活を守る「防災」分野にも大きな役割を果たすべきだと感じます。
私がたちが「海岸林再生プロジェクト」の現場に多くの外国人記者を呼ぶ理由もそこにあります。
被災地の復興と同時に、日本全国、あるいは世界中の防災意識向上につながるプロジェクトでなければならないと感じています。

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