我々は北原東の育苗場候補地にたどり着く前に、7月には内陸4kmほどの
土地を有力候補として考えていた。土は抜群に良かった。
オイスカの渡邊副理事長も、「雑草の葉っぱがとても大きく、種類も多い」と言っていた。
しかし、3反程度しかなく、周囲の別の地主さんの理解を得て、
もう少し広い土地を確保する 算段だったが、その折衝が不調で、拡張は困難と判断した。
そのため、海方向の土地が浮上した。
その情報シェアに一部齟齬があり、地元の人たちを怒らせてしまったのだ。
その方たちは、内陸に土地を借り、農業を再開していた。
まだ、 「海を見たくない」「海は怖い」という心理が強く残っている。
行きたくない方向を選んでしまったのだ。
「なぬ?!」となる。
自分たちは自分たちの畑で、手元でクロマツを育てたいという気持ちがあった。
一瞬の情報共有を怠ったこともあり、それとは違う方向に見えたのだろう。
つゆ知らず、判断の方向を説明に行ったら、思わぬ表情をされ不穏な空気を感じた。
いったんは引き取り、後日すぐに、佐々木さんと説明に行った。
ものすごく険悪な雰囲気になった。年末の忘年会の「とんちゃん」まで険悪なムードは続いた。
本当に不承不承、納得していただいたが、私だけの力では到底 おさまらなかった。
当時は、施設環境を一極集中しようと考えていた。
このようなドタバタがあり、内陸に拠点を設けた北釜の方たちの「膝元で育てたい」という気持ち
もはっきりし、あくまでも結果論だが、育苗場は第一と第二に分け、お互いが切磋琢磨すると
いう発想が幸か不幸か浮上したのだった。
Tさんには、2 月頃まで、「あのころは、もう吉田とはくづきがねえ!」と思ったと何度も言われたのだ。
地元の人を後押しするのでなく、自己中心の発想が頭をもたげたことを反省した。

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