北釜耕人会の生い立ち その①
2012年12月17日( カテゴリー: 本部発 )
※10月24日のオイスカ国際フォーラムでの発表をもとにお伝えします。
北釜耕人会 常務 高梨仁 (名取市海岸林再生の会 幹事)
名取市下増田北釜地区は、仙台空港の東、太平洋と貞山運河に
挟まれた、約800mの間に107戸、400人ぐらい住んでいました。
震災により住宅、車、農機具を失い、そして54人の犠牲者を出してしまいました。
集落の北に従前より耕していた農地25haと、30年ほど前に仙台空港拡張に伴い代替用地として国有林の払い下げを受けて開発した農地25ha、あわせて50haの農地に約1,000棟のパイプハウス(ビニールハウス)を建て、青梗菜(チンゲンサイ)をはじめとする小松菜・みず菜など軟弱野菜を仙台市場に年間を通して出荷していました。
青梗菜で仙台市場年間流通量の80%に達する産地が、一瞬にして瓦礫の山になってしまいました。林帯幅300mのマツ林も失い、農地から太平洋が見える状態です。
震災では、消防団として避難誘導に務めたため逃げ遅れ、波が来る一瞬前に、登ること自体考えられない高さの自治会館の屋根の上に登り、水が引かないため雪の中、2日間耐えました。
仙台空港で土産物の萩の月や笹かまぼこを分けてもらい、
3月13日に市の指定避難所の名取二中の体育館に移り、
5月31日までの2ヵ月半、雑魚寝状態でした。
その中、5月24日にオイスカと出会い、
海岸林再生に我々も協力すると、はっきり伝えました。