松の字のつく「有名人」とはなかなか出会いがありません。
ですが、一応出会いました。
先週のNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ていて。
「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」
久々、この言葉を発した吉田松陰さんに触れました。(無理やり)
「至誠をもって対すれば動かすことができないものはない」という意味です。
高校生の時に本で読みました。
私、ドラマを見ているとよく泣いてしまうんです。
ドラマ以来、頭からこの言葉が離れません。
気持ちの支えになっています。
さらけ出しついでにもうひとつ。
思い続けていれば、この仕事を通じて、松がつく女優に会えるのではないかと。
一応リストアップしてあります。
広島でクロマツの種が芽吹きました
『オイスカ広島県支部の行事で昨年ご講演いただいた、詩人で、画家でもある加納千里子さんのお宅“志葉多寿し”の行燈です。
また、“千里子さん”の年賀状では海岸林再生の呼びかけがありました。
一日も早く(といっても随分の時間がかかりますが)白砂青松の海岸がよみがえるとよいですね。』
以上、広島県支部事務局ご担当からのメールより。
見事な行燈に感激しました。
広島県内でも加納さんをはじめ多くの方が「ご寄附のお願いのチラシ」を各地の森林公園などに設置して下さり、その甲斐あって支援者が続伸しています。
ありがとうございます。
行燈にはこんな素敵なクロマツが描かれています。
「失われた東日本の
海岸林再生プロジェクトが立ち上がりました。
10ヵ年計画という大変な事業ですが、
今、小さなクロマツの苗がすくすくと育っています」
と苗の成長についても触れてくださっています。
振り返りブログ29 もう吉田とは、くづきがねえ!(口きかねえ)
我々は北原東の育苗場候補地にたどり着く前に、7月には内陸4kmほどの
土地を有力候補として考えていた。土は抜群に良かった。
オイスカの渡邊副理事長も、「雑草の葉っぱがとても大きく、種類も多い」と言っていた。
しかし、3反程度しかなく、周囲の別の地主さんの理解を得て、
もう少し広い土地を確保する 算段だったが、その折衝が不調で、拡張は困難と判断した。
そのため、海方向の土地が浮上した。
その情報シェアに一部齟齬があり、地元の人たちを怒らせてしまったのだ。
その方たちは、内陸に土地を借り、農業を再開していた。
まだ、 「海を見たくない」「海は怖い」という心理が強く残っている。
行きたくない方向を選んでしまったのだ。
「なぬ?!」となる。
自分たちは自分たちの畑で、手元でクロマツを育てたいという気持ちがあった。
一瞬の情報共有を怠ったこともあり、それとは違う方向に見えたのだろう。
つゆ知らず、判断の方向を説明に行ったら、思わぬ表情をされ不穏な空気を感じた。
いったんは引き取り、後日すぐに、佐々木さんと説明に行った。
ものすごく険悪な雰囲気になった。年末の忘年会の「とんちゃん」まで険悪なムードは続いた。
本当に不承不承、納得していただいたが、私だけの力では到底 おさまらなかった。
当時は、施設環境を一極集中しようと考えていた。
このようなドタバタがあり、内陸に拠点を設けた北釜の方たちの「膝元で育てたい」という気持ち
もはっきりし、あくまでも結果論だが、育苗場は第一と第二に分け、お互いが切磋琢磨すると
いう発想が幸か不幸か浮上したのだった。
Tさんには、2 月頃まで、「あのころは、もう吉田とはくづきがねえ!」と思ったと何度も言われたのだ。
地元の人を後押しするのでなく、自己中心の発想が頭をもたげたことを反省した。
振り返りブログ28 育苗場となる土地との出会い
2011年11月26日、名取市下増田北原東、のちに第一育苗場となる土地に立った。
「名取市海岸林再生の会」会長の鈴木さんの教え子であるご夫婦の土地だという。
貞山堀からわずかに内陸。広浦の南端で海岸林や宮城県立農業高校の跡地とも近い。
仙台空港は南方向に大きく見え、空港アクセス線の通過もよく見える。地主さんの家は、頑丈な作りと後で知ったが、流されていないことが信じられなかった。
注目したのは、海岸波打ち際から 1.4kmのこの場所で、
家庭菜園(といってもそう狭くはない)を既にしている事だった。
肥料となる草も植えていた。
震災後に山砂を50cm盛って、防風ネットも震災後に張ったという。
その50cmは大きい。
対象地の周りの雑草は葉も小さく、雑草の種類は少ないことからして良い土ではない。
しかし 対象の土地は、5反以上ある。立地も海岸林に近く、申し分ない。
数ヵ月いろいろ見てきたが、直感としてここに決まる気がした。
あとは土と水の部分で確信を持てるかどうかだ。
数日後、鈴木会長をはじめ、佐々木さんご兄弟、種苗組合長の太田さん、清藤先生にも見に来ていただいた。
太田組合長は、土を口の中に入れた。 その場で「大丈夫だぁ~」と。
みんな笑顔がはじけた。
後日、地元の人も加わって、土壌分析や水質調査も行った。大方の判断は、「大丈夫だろう」と。地下水の塩分が時季により上昇する危惧はあったが、地主さんが先に畑を始めている事なども判断材料になった。私は、見ているだけでは何もわからないのだが、何度も何度も、舐めるように歩いた。
しかし、この時、一つ基本的な落ち度があった。
地元の方に「もう吉田とは口きかねえ!」と数日後に言われることになる。
【お詫び】
いつもご覧いただき、とても感謝しております。
お伝えしたいことはたくさんあるのですが、
最近このブログの文字がきれいに揃わなくなっています。
原因がわからないため、
週末に専門の方のアドバイスを受けます。
それまでしばらくお休みさせてください。
本当に申し訳ありません。
海岸林再生プロジェクト担当 吉田俊通
桜開花予想 in仙台
先週、桜開花予想の記事を河北新報で読みました。
今年は平年並みだと書いてあったような。
ネットではこのように。http://sakura.weathermap.jp/
昨年はと言えば、宮城で記憶にあるのは、ソメイヨシノなどまるでない名取の寒空。
昨年は寒かったですね。私の滞在の多くを占めているのは名取の沿岸部。
ソメイヨシノは塩水にめっぽう弱く、亘里町でも阿武隈川の河口付近の土手沿いの桜並木が無残な枯れ木で残っていたのを忘れません。沿岸部では桜並木を見ることはできません。当分。
クロマツと同様、被害にあったのです。
でも、その分、東京では昼も夜も、40数年で一番ゆっくり桜を楽しみました。
今年はどんな春が来るのかな。
たぶん、満開のころは、クロマツの種蒔きと移植などなどで、忙しくて、宮城ではゆっくり桜を愛でることは出来ないかもしれない。
いつの日か、沿岸の桜並木も復活するのだと思います。
今日は今日の、明日は明日の風が吹きます。
「国や地方公共団体の復興計画への協力の一端を担う」と標榜する以上、政治の動向にも、様々な風にも、絶えず注視に努めなければなりません。
「日々観察」という点で、苗木作りと同じですね。
政権交代が交代し、色々な変化の様相を感じます。
やはり風は風ですから、毎日吹く方向も違うし、体感温度も違います。
風を受けている社会のざわめきや、足音も聞こえてきます。
私たちはその風を確かに感じながら、淡々と、先手先手で準備を重ね、果敢に乗り越えてゆきたいと思います。
今日はどんな風が吹くのかな~
風を読むというようになりたいです。
風本来で言えば、名取では、3日、5日は風速25mを超える西風が吹いたようです。
愛知県支部事務局の訪問記 2
愛知県では海岸林再生プロジェクトへの関心が高まり、支援者が増えています。
今週末、9日は1,500人の申し込みを頂いているファミリーデーでも名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長よりご報告いただきます。http://www.oisca.org/news/?p=4407
今後、支援業務にも力を注ぐために初めて 被災地を訪問しました。
育苗の現場を実際に見て、統轄責任者である佐々木氏にお会いすることで、現場の緊張した空気を感じることができました。
全国からの支援を受け、苗木の育成と造林を成功させなければいけないという強烈なプレッシャーと責任感と闘いながら、
佐々木氏はじめ、被災者の皆さまが雪の降り積もる極寒の中で地道な活動を続けていました。
現地統轄の佐々木氏は曲がったことが大嫌い、妥協はしないという東北人気質の塊のような人。
「コンパスの針(軸)は絶対動かしてはダメ。軸は絶対にぶれてはいけない」と再三話し、
この仕事の厳しさを教えて頂いた。
佐々木氏は林野庁東北森林管理局を定年で退職されたプロで、佐々木さんでないと成功しないと思いました。
本部の担当者は現場の厳しい要望を一身に引き受け、現場と二人三脚で、
外部との協議・折衝、広報啓発業務、資金集め、現場との調整に当たっています。
大勢ののプロジェクト関係者の動きをみて感じたことは、オイスカ各地区会員組織は、
現場が安心して育苗に集中できる環境を整えることが大事だということ。
つまり、寄附協力、そのチラシの設置促進、視察の場合は現地の都合を最優先する事(被災者には自分の生活、農業・生活再建があることを忘れてはいけない)の3点。
突然の来訪があまりにも多く、五月雨的であるため、現場はそのたびに業務が中断されているようです。
ボランティア活動は、オイスカ本部を通じてあらかじめ募集します。
その時が来たらオイスカ地方組織はしっかり対応すべきなのだと 思いました。
出張の成果は会員・支援者に共有することで、今まで以上に同事業を地方レベルで円滑に推進してゆきたいと思いました。
愛知県支部 担当 小杉
オイスカ会員企業のご担当(新潟県ご出身)からメールを頂きました。
ご本人にご了解の上で、紹介させていただくことにしました。
「昨日、色々とお話をしてから、ずーっと様々な思いが心中に去来しておりました。
私は、新潟県の田舎の出身で、実家は米農家、周りは田んぼや、畑でかこまれた場所で育ちました。
昨日も申し上げましたが、小さい頃には、砂防林の中できのこ採りをしたり、友達と遊んだりしていました。
とても美しい松林が砂浜のほうまで延々と続いているさまをみながら、
葉タバコの刈り取り作業のかたわらで遊んでいたりしていました。
ところが、成人して帰り、なにげなく見ると松食い虫による被害で大半が枯れ果てていました。
また、実家に帰るたびに、この松林が全滅 したことや後継者、
子供がいないことをはじめ様々な理由で村の農業の先行きが厳しいことなどを父からいつも聞かされています。
私のちっぽけな感傷など只々お恥ずかしい限りですが、
何かしら「個人」でできることからやってみようかなと思っています。」
私も新潟の海岸林を3か所見たことがあります。海から数キロ離れた高速道路から海岸林を見ると、
驚くほど盛り上がっていました。もとは砂の山だったのでしょう。
このメールを拝読しているまさにその時、
新潟の「FM PORT」(新潟県民エフエム)から電話があり、
2月7日(木)AM9:20~9:35に電話生出演することになりました。
雑誌「オレンジページ」(2月17日号)に紹介されました。
我が家でもよく見かける雑誌「オレンジページ」(2月17日号)で、2ページのボリュームにわたり紹介されました。
12月末の第一育苗場防風ネット修繕作業に来た地元の方を中心に取材されています。
タイトルは、「かんたんグラタン」
→表紙画像はコチラ http://www.orangepage.net/book/pcBookTop.do
男性の我が上司は、役員から突然尋ねられ、「イエローページ」と説明したらしく、
二人で4,5分、相当とんちんかんな話をしていた模様。
もしやタウンページとも区別がつかなかったのでは。
編集部に尋ねるとなんと40万部が販売されるそうです。
自分をはじめとする世のおじさまも、お早めに全国のコンビニ・書店でお求めください。
すでに店頭に並んでいます。
話は変わりますけど、今日は「立春」でしたね。