今日は今日の、明日は明日の風が吹きます。
「国や地方公共団体の復興計画への協力の一端を担う」と標榜する以上、政治の動向にも、様々な風にも、絶えず注視に努めなければなりません。
「日々観察」という点で、苗木作りと同じですね。
政権交代が交代し、色々な変化の様相を感じます。
やはり風は風ですから、毎日吹く方向も違うし、体感温度も違います。
風を受けている社会のざわめきや、足音も聞こえてきます。
私たちはその風を確かに感じながら、淡々と、先手先手で準備を重ね、果敢に乗り越えてゆきたいと思います。
今日はどんな風が吹くのかな~
風を読むというようになりたいです。
風本来で言えば、名取では、3日、5日は風速25mを超える西風が吹いたようです。
愛知県支部事務局の訪問記 2
愛知県では海岸林再生プロジェクトへの関心が高まり、支援者が増えています。
今週末、9日は1,500人の申し込みを頂いているファミリーデーでも名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長よりご報告いただきます。http://www.oisca.org/news/?p=4407
今後、支援業務にも力を注ぐために初めて 被災地を訪問しました。
育苗の現場を実際に見て、統轄責任者である佐々木氏にお会いすることで、現場の緊張した空気を感じることができました。
全国からの支援を受け、苗木の育成と造林を成功させなければいけないという強烈なプレッシャーと責任感と闘いながら、
佐々木氏はじめ、被災者の皆さまが雪の降り積もる極寒の中で地道な活動を続けていました。
現地統轄の佐々木氏は曲がったことが大嫌い、妥協はしないという東北人気質の塊のような人。
「コンパスの針(軸)は絶対動かしてはダメ。軸は絶対にぶれてはいけない」と再三話し、
この仕事の厳しさを教えて頂いた。
佐々木氏は林野庁東北森林管理局を定年で退職されたプロで、佐々木さんでないと成功しないと思いました。
本部の担当者は現場の厳しい要望を一身に引き受け、現場と二人三脚で、
外部との協議・折衝、広報啓発業務、資金集め、現場との調整に当たっています。
大勢ののプロジェクト関係者の動きをみて感じたことは、オイスカ各地区会員組織は、
現場が安心して育苗に集中できる環境を整えることが大事だということ。
つまり、寄附協力、そのチラシの設置促進、視察の場合は現地の都合を最優先する事(被災者には自分の生活、農業・生活再建があることを忘れてはいけない)の3点。
突然の来訪があまりにも多く、五月雨的であるため、現場はそのたびに業務が中断されているようです。
ボランティア活動は、オイスカ本部を通じてあらかじめ募集します。
その時が来たらオイスカ地方組織はしっかり対応すべきなのだと 思いました。
出張の成果は会員・支援者に共有することで、今まで以上に同事業を地方レベルで円滑に推進してゆきたいと思いました。
愛知県支部 担当 小杉
オイスカ会員企業のご担当(新潟県ご出身)からメールを頂きました。
ご本人にご了解の上で、紹介させていただくことにしました。
「昨日、色々とお話をしてから、ずーっと様々な思いが心中に去来しておりました。
私は、新潟県の田舎の出身で、実家は米農家、周りは田んぼや、畑でかこまれた場所で育ちました。
昨日も申し上げましたが、小さい頃には、砂防林の中できのこ採りをしたり、友達と遊んだりしていました。
とても美しい松林が砂浜のほうまで延々と続いているさまをみながら、
葉タバコの刈り取り作業のかたわらで遊んでいたりしていました。
ところが、成人して帰り、なにげなく見ると松食い虫による被害で大半が枯れ果てていました。
また、実家に帰るたびに、この松林が全滅 したことや後継者、
子供がいないことをはじめ様々な理由で村の農業の先行きが厳しいことなどを父からいつも聞かされています。
私のちっぽけな感傷など只々お恥ずかしい限りですが、
何かしら「個人」でできることからやってみようかなと思っています。」
私も新潟の海岸林を3か所見たことがあります。海から数キロ離れた高速道路から海岸林を見ると、
驚くほど盛り上がっていました。もとは砂の山だったのでしょう。
このメールを拝読しているまさにその時、
新潟の「FM PORT」(新潟県民エフエム)から電話があり、
2月7日(木)AM9:20~9:35に電話生出演することになりました。
雑誌「オレンジページ」(2月17日号)に紹介されました。
我が家でもよく見かける雑誌「オレンジページ」(2月17日号)で、2ページのボリュームにわたり紹介されました。
12月末の第一育苗場防風ネット修繕作業に来た地元の方を中心に取材されています。
タイトルは、「かんたんグラタン」
→表紙画像はコチラ http://www.orangepage.net/book/pcBookTop.do
男性の我が上司は、役員から突然尋ねられ、「イエローページ」と説明したらしく、
二人で4,5分、相当とんちんかんな話をしていた模様。
もしやタウンページとも区別がつかなかったのでは。
編集部に尋ねるとなんと40万部が販売されるそうです。
自分をはじめとする世のおじさまも、お早めに全国のコンビニ・書店でお求めください。
すでに店頭に並んでいます。
話は変わりますけど、今日は「立春」でしたね。
振り返りブログ27 宮城県山林種苗生産事業者登録講習会 2
どんな人が何人受講するのか、敢えて聞かずに当日を迎えた。
2011年11月28日、宮城県中央部の大衡村の県林業技術総合センターで講習会が開催された。
トヨタ東日本が稼働した場所としても知られている。我々にとっては、
5月26日に調査団でマツノザイセンチュウ抵抗性クロマツの採種園を見た場所だ。
受講費用は14,000円。講習会は終日。
講習が始まり、受講者は11人。そのうち10人がオイスカの関係者だと知った。
本当に拍子抜けした。
しかし、よくよく考えてみれば、私たちに対し、育苗をしたいとの申し出の大半は、被災地外の方だった。
とてもそういう状況ではないのだと思った。
講義は海岸林・クロマツに限らず、山のこと、杉・檜も含まれる。林業種苗の産地と系統、
種苗の生産技術、宮城県の森林・林業の現状、森林法・林業種苗法などの法令、
病害虫とその駆除、宮城における育苗の暦など多岐にわたる。
事前に、県職員のご担当が地元の人に「テストはないから」と繰り返していたから、
我々は「何か掛け合いがあるな」と楽しみにしていた。
朝の集合で、最後に「逆質問」をやると発表。平たく言えばクイズを難しくしたようなもの。
昼食の時間も我々は盛り上がった。何故なら一人、9時10分には居眠りを始めた人がいたから。
もちろん、メールでオイスカ本部に速報済み。
一日の最後の「逆質問」を無事こなし、免状を頂くことになった。
地元の方たちも真夏に何度も通った技術センター。
名取の農家の方たちがいただく場面を写真にしようとしたが、妙に手が震えて、ひどくピンボケした。
技術センターの部長さんが、「心強く思っています」とはっきり言ってくれた。
その一言は本当に嬉しかった。いよいよ現場が始まるんだという実感が湧いた。
県知事のお名前と公印が押された免状を手に「記念撮影だー」とひと騒ぎ。
騒ぎの中、先程頂いた自分の免状を見失った。(後日無事発見)
*いつもいつも、長文で、内輪の振り返りをすみません。
長い仕事になるので、記録にしておきたくて。
振り返りブログ26 宮城県山林種苗生産事業者登録講習会 1
スギ・ヒノキ・マツなどの針葉樹は、経済林として日本の経済を支えてきた。それらの種子「林業種苗法」の規定のもと、各県によって採種され、種苗組合など定められた林業事業体に加盟している人に県から払い下げられ、そして2年~3年はかかる育苗が先を見通して計画的に実施される。採種先が管理され、遺伝子攪乱などの諸問題の歯止めにもなっている。
「そういう法律は取っ払えば良い」、「既得権益保護だ」という意見をよく聞いた。非常に複雑な心境だった。知られざる世界とはいえ、その分野を支えてきたプロを「ないがしろ」にすることではないだろうかとも心の中で思った。森林・林業の分野で生きる人の生活、プロ軽視の傾向の最たるものだと感じた。しかし、知られていないことに起因しているため、説明すれば多くの人が納得してくれた。
2011年5月、行政当局との初協議の折、林業種苗法に則った育苗への参画を表明し、宮城では新規参入希望者がないが為、数年開催されていない「登録講習会」開催を宮城県に申し入れた。当時は震災直後。宮城県も当然、半信半疑であった。
また、種苗組合にとっては、我々が組合員として受け入れ難い存在であれば、理事会で加入を否決すれば、講習会を修了しても意味のない存在になる。従って、オイスカにとっては①講習会の開催、②組合への加入が我々の折衝のポイントであった。
しかし、既存農家を圧迫する存在ではないことと、被災地の雇用とするという我々の趣旨に共鳴いただいたこと、そしておそらくは、宮城中央森林組合や、国や県のご担当などの目に見えない後押しのおかげで、「肩を組んで、ともに海岸林を再生しよう」との種苗組合組合長の言葉を頂き、8月には、今秋の講習会開催を県が決定した。既に育苗をしたいという問い合わせは、国・県にも、オイスカにも多く寄せられていた。県との折衝では常に、「講習会開催を広く公示してほしい」と申し上げた。
じつは私、大学生当時、オイスカで働く決め手にしたのは「人づくり」という言葉でした。 私が所属していた体育会ソフトテニス部と共通していると思ったのです。 近年最弱と言われながらも、目指すチームの姿に達しようと毎日必死でしがみつき、 あれ以上ないと思う限界近くで戦ったこと、薫陶を受けた監督の顔を、 今でも苦しいときに思い出します。(そういうお正月でした。)
「お金を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのは上」とも言いますね。 私、この仕事を通じた最大の目標はそこです。 オイスカがこの仕事に取り組む究極の意義はそこにあると思ってます。
ですが目下の日常は、崇高な「人づくり」などとは程遠く、 業務に追われ、最近は、ヨソのことを考えてウワの空の時もあり、 大事なものをモノをなくすことも多く(携帯、名刺入れ×2、家の鍵、シャチハタ)、 ゆとりのない毎日を何とかしようと努力している程度の毎日です。
先日、現場の佐々木さんに、別れ際で言われました。 「生半可じゃない仕事だけど、お互い、何があっても平気な顔をしてような」と。 自己鍛錬が出来ていない、感情むき出しの人間なので、全くなっていませんが、 我にかえったような、ほっとしたような、落ち着いたような気持ちになりました。 私の中の「佐々木語録」がまた増えました。
正直なところ、そういう日常です。 我々、今はまずきっちり海岸林を再生することに全力を挙げていきます。 しかし、それに加えて心の奥底で、「森づくりは人づくり」という我々の信念を、 苦しくても復唱し続けようと思います。
わが社の現場の大ベテランの方で、外部の人から「オイスカってなんですか?」と聞かれて、 「俺がオイスカだ」と言ったという伝説があります。(笑) まさに人づくりをしてきた人です。 組織の理念を、体と行動で体現する後ろ姿に深く共感してきました。
今年のテーマは「植栽が始まる前の準備」。 人づくりが含まれます。 我々の居場所は緒に就いたばかり。 道のりは長く、目指すは高い。ですが、一歩ずつでもしっかりやってゆこうと思います。 寝ても覚めても思い続け、狂ったように考えれば、本願は必ず達成できると思っています。
これから作る森は、我々が死んだ後も、愛されながらしっかり生きてほしい。 心底そう思うから、今後のために、恥ずかしいですが記録として書いてみました。
振り返りブログ25 「育苗に協力したい」との日々の問い合わせ
実に様々なお相手、内容であった。中でも圧倒的に多かったのが
「自ら苗木を育てたい」というお申し出。
今も断続的に続いている。る。皆様の考え方は、一般市民からすれば至極もっともなことだと思う。
手帳をもとに少し振り返ってみた。
「工場の空き地で労組組合員に苗を育てる指導をしてもらえば協力できる。」(都内)
「息子がクロマツ種苗農家を営んでいる。買ってもらえないか。」(東北日本海側)
「常緑広葉樹を4万本育てている。買いませんか。」(四国)
「子どもたちに苗木を育てさせ、一本●円の寄付を募る手伝いをしたい」(都内)
「限界集落の耕作放棄地を使って、地元の老人で育苗したい」(中部)
「潜在植生である木々を植える趣旨で是非一緒に」(関東)
「費用の支援と、広葉樹を育てる指導にきてくれれば有志で」(中部)
知られざる状況は、一般の方には 理解しようにも、無理がある。
できるだけ丁寧に答える努力をしたつもりだ。
震災前から苗木を育てて生計を立ててきた種苗農家の人たちの顔を思い浮かべながら。
私たちも2011年5月頃までは、クロマツ・広葉樹の育苗シュミレーションを一応検討した。
しかし、「海岸林」はクロマツが主林木となろうこと、林業種苗法の存在、
担い手は誰が相応しいか、支援者側への技術指導や諸費用、ロジスティックなど総合的に考えた。
対象地は「保安林」に指定されている場所でもある。苗木は仕様書に沿うことが求められる。
従って、あくまでも行政が立てる復興計画への協力を大原則とし、担い手としては
被災地農家の有志に対し、雇用を通じて生計支援しながら実施することを5月末には決めた。
お問い合わせには応じることはできなくても、精一杯説明する努力をするのも
先陣を切るものの責務と考えた。このお問い合わせがきっかけで、大変熱心に協力して下さる方もいる。
ブログでたびたび登場する神奈川のIさんはその代表の一人。
しかし、それは稀なこと。やっぱり皆さん自分がやりたいのだから、仕方ないことだと思う。
今後長期間にわたり、行政・種苗農家は総力を挙げて海岸林再生に対処することになる。
我々はその一員として努力する道を選んでいる。
【主催:H.I.S】海岸林再生プロジェクト視察ツアーのご案内
震災から間もなく2年が経過しますね。 会員企業でもあるH.I.Sより海岸林視察ツアーのご提案をいただき、 3月9日(土)に実施することにいたしました。 翌日は大河ドラマ「八重の桜」の福島を訪問する企画です。
当プロジェクトに初めて訪問される方をイメージして、予定を組んでおります。 オイスカのパーツでは、被災海岸林と、国の治山工事の様子(工区には立ち入れ ないですが)、育苗場や、被災した農家の方からお話を伺う予定です。 精一杯説明しようと思います。
育苗を共にする地元の農家の皆様は、日々ご自身の農業にフル回転で従事し、 その上でクロマツに情熱を注いでいます。 今回は第1育苗場班長ご夫妻が説明する予定です。この機会をぜひ活かしていただければ。 地元自治会長もされており、まさに地域のために奮闘されている人です。 (ブログで度々出てくる「とんちゃん」には100%関与しています)
当ツアーにご関心の方は下記をご覧ください。 http://www.his-j.com/tyo/eco/japan/eco-tohoku_2013_3.htm
http://ameblo.jp/his-eco/entry-11455844999.html
オイスカ愛知県支部事務局の訪問記1
オイスカ愛知県支部からの今後の支援への熱い期待が込めて、 1月17日・18日と海岸林再生プロジェクトを視察・業務調整に行きました。
今後の活動への熱い期待を込めて。
私にとっては、2回目の視察でしたが、 今も元の住宅地が何もないさら地になっている事に想像を超えた 被害の大きさを改めて感じました。
名取市立閖上中学校を見ましたが、校門を入ってすぐのところに 碑があり、碑の隣に勉強机が置いてありました。 机の上には、亡くなった子供たちの名前が書かれてありました。 友達が書いたようです。 子を持つ親として、子供を天災で突然に失う痛みに思いを馳せました。
現在のプロジェクトは、苗場でのクロマツの育成です。 第一育苗場と第二育苗場があり、2箇所に分かれています。
第一育苗場に事務所(プレハブ2棟)が隣接しています。 苗場は、雪に埋もれていましたが、クロマツの苗木が15cm程に元気に育っていました。
平成26年の春までに30cm位まで伸ばして海岸に植える予定です。 国によって高さ3.5m、幅200m以上の盛り土をした後、植える予定だと聞きました。 とんでもない大きな事業です。
滞在中に、(株)ニコン・読売日本交響楽団とJTBコーポレートセールスが縁を繋いで、 3月6日(水)に読売日本交響楽団さんによる復興支援特別講演「きぼうの音楽会」in名取と 海岸林再生プロジェクトの写真展を名取市市民会館にて 同時開催する準備をしていました。地元住民による名取市海岸林再生の会、 名取市などの行政、企業・個人などとオイスカが協働している舞台裏でした。
同じ志の団体や個人が縁を繋ぎながら、夢の実現の為に活動しています。
愛知県豊田市では、2月9日(土)に豊田市民会館において 「白砂青松の海岸林を再び」というテーマにてコンサートと講演会を行います。 名取市海岸林再生の会の会長である鈴木英二氏も現地の報告をしていただきます。 http://www.oisca.org/kaiganrin/751 お近くの人は、是非ご参加下さい。
ご連絡先:オイスカ中部日本研修センター 電話0565(42)1101
オイスカ愛知県支部 森田