今は国土交通省の防潮堤工事のダンプにも増して、                                         林野庁の表示を付けたダンプの数が目立ちます。                                          目に見えて工事が進捗している印象です。                                            ちょっと工事を近くで見ようとするのも明らかに邪魔です。
名取市南部は8工区71haの工事が落札され、                                            約500,000m3の盛土工事と、「東北森林管理局HPの入札情報」で公開されております。
10tダンプで約15万台分の購入土、津波堆積物、コンクリートがら等が持ち込まれ、                             今年度中工事完了を目指しているのだと思います。
名取南部だけで15万台のダンプとは圧倒されます。
地下水位が高く、排水も悪く、今は湿地状になっている箇所の多い                                 宮城南部の海岸林再生の最大の特徴は「盛土」です。                                       海岸林の主林木となるクロマツの深根性を発揮するため、ここでは生育に必要な高さと                         見込まれる3.5mの盛土が設計されました。
人工物の上で木を植えるのですから、今は違和感がありますが、                                    後々は、その昔、人の手で造られたと言われている空港近くの北釜地区の高みと、                           津波を経ても、今もそこに生える木々のように、生活も守るインフラになると思います。
*技量が追い付いていないため、写真添付はまた後日。
ごめんなさい。

東京のバレー教室の子どもたちにも募金を協力して頂きました。
こんにちは。
私は小さい頃、上海にあるオイスカ幼稚園に通っていました。
園内には、たくさんの木や、木で作られたおもちゃがあったり、
プールの中にお魚をはなして、その中で一緒に遊んだり、
楽しかった思い出 が沢山あります。
オイスカの幼稚園で本当に良かったです。ありがとうございました。
今回海岸に木を植えるプロジェクトに参加出来て本当に嬉しいです。
大好きなバレエを踊って、自然のため、人のために役に立てました。
木が大きく育ってくれるように願っています。よろしくお願いします。
ps. 10ヶ年のプロジェクト、今11歳の彼女が20歳になっていますね。
      子供の成長と松の成長が重なる思いです。     
      小さな苗がいづれ彼女たちを守ってくれるのですね。
      子供も苗も健やかに育ちますように。宜しくお願い致します。
      ご紹介されていた「森林飽和」も読ませて頂きます。
      新聞で松が発芽しているのを見て、改めて植物の生命力の強さ、
   またこのプロジェクトの確かな信頼を感じました。
   今回このようなかたちで参加させていただき、ありがとうございました。
   今後もクラスの皆とともに、松の成長、復興を願っております。
                                                              *先生より。

国土交通省の防潮堤工事に加え、林野庁の治山工事も始まっているため、                                      工事現場に近寄るのは全くはばかられる雰囲気が現場には漂います。
視覚的にも、とてもわかりやすい資料を国土交通省仙台河川国道事務所HPで                               偶然見つけました。                                  http://www.thr.mlit.go.jp/sendai/kasen_kaigan/fukkou/pdf/121102.pdf                                                     ご関心があればぜひご覧ください。
それにしても、みんな資料を作るのが上手でうらやましい。

国の「治山工事」が目に見えて進んでおります。 *海でも「治山」といいます。
全体を掴むのに良い資料を東北森林管理局HPにあります。
http://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/koho/saigaijoho/h23_higasinihon_daisinsai.html
特に
●「海岸防災林の再生について(宮城県沿岸域現地連絡調整会議H24,11,7開催)
●海岸林等の復旧の考え方 *各地域の方針
この資料が視覚的にもわかりやすいです。
名取市の海岸林は全体138ha。
大まかにいうと、海側より県有林、市有林、国有林の3列になっており、
北部は依然「がれき置場」ですが、南部約70haは10工区に分けて
昨年から随時入札がかけられ、治山工事が始まっております。
そのうち8工区が落札済みです。
ここでの治山工事とは主に、「測量」、「生育基盤造成工」(盛土工。倒伏木処理含む)、
「作業道工」「防風柵工」などから成り、仙台の七北田川以南~福島県境の山元町までの
宮城南部に関しては、被害程度があまりに甚大なことなどから国・県・市有林の違いを問わず、国によって施工されます。
*これを民有地直轄治山事業(通称:民直)という。大災害後に年数件実施されています。
この治山工事の費用は復興交付金が原資です。
「平成24年度から概ね5年で基盤造成を行い、10年以内で植栽を完了する」
というのが大方針です。
参考)盛土工事の状況は東北森林管理局HP「入札情報」
http://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/apply/publicsale/index.html
*一般競争入札一覧、契約に関する情報

名取にも盛土が出現しております。
明日以降、レポートします。

愛知県の中学校からの協力

2013年1月18日( カテゴリー: 本部発 )

愛知県豊田市立藤岡中学校から募金を頂きました。
豊田市HP
http://www.city.toyota.aichi.jp/pressrelease/1248664_7011.html
「生徒会で生徒や先生方から募金です。少ないですが海岸林再生に
役立てて下さい。心から応援しています」
生徒さんの字で郵便払込票にメッセージがありました。
これまでの募金活動で集めた募金を、校長先生と生徒会長、 福祉委員長さんが、
豊田市勘八町の山の上にあるオイスカ中部日本研修センターまで届けてくださったと、
1月12日付けの中日新聞にも掲載されておりました。
「少ないですが」と書いてありましたが、
この募金では、より大勢の方に「なぜ海岸林再生が必要なのか」ご理解いただき、
できるだけ大勢の方から、無理なく少しずつご協力いただくことに力を入れており、
今回のような協力方法で、しかも若い世代に協力頂くことはとても嬉しいのです。
 
11月にお目にかかった校長先生の表情を思い出します。
ありがとうございます。
またお会いしましょう!

考えさせられた一言

2013年1月17日( カテゴリー: 本部発 )

年末、懇意の記者さんと10か月ぶりにお会いしました。
プレスリリース前から取材を受けていましたが、私にはまさに「記者」と感じていました。
「失敗したら、糾弾するぞ」なんて言って、励ままれたことも。
県外に異動されて、原発に近い方面で勤務されています。「頭の半分は原発ですよ」と言っていた。
 
この方は、僕らの播種・苗の様子を見ぬまま、風のように単身赴任で異動されたため、
写真をゆっくり見てもらいました。
 
途中でポツッと言われたのが、「オイスカは、万が一、東南海地震や何かの災害があっても、
例え自分達では活動が出来なくても、例え海岸林でなくても、
どんな分野でも応用できる仕組みをつくったよね」と。
この人はそう見てくれていたのか。
確かにNPOや公益法人とは、行政サービスの谷間や、
多くのセクターとの繋ぎ、コーディネート、潤滑油、接着剤という
存在意義があると思います。機動力、企画力が持ち味だと思います。
 
しかし、帰路もずっとリフレインしましたが、まだ自分の力で咀嚼しきれません。
万が一、今の我々の経験を他でも活用することを望まれた場合、
理解しやすいよう準備しておくのも、責務なのかもしれないと思いました。
でも、どう表現していいか今はわからないし、そのゆとりもないのが正直なところです。
 
大きな宿題を与えられた気がします。

合同会社西友の海岸林再生などに関する取り組みが、
日経ビジネスオンラインに「使徒明確で広まる寄附文化」として掲載されました。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20121227/241651/
全国の西友のレジに行きますと、オイスカの再生プロジェクトなど、
「4つのカード」などが下がっており、お客様は希望する先を選んで寄附することが出来ます。
掲載内容に触れられていた「どう使われるか分からない(分かりにくい)」という従来の課題に対し、
我々も、色々な方のアドバイスも受けながら、多くの方の力も借りながら、
果敢に取り組んでいこうと思います。

国際協力の仕事は人の行き来でもあり、数々の国の現場に行き、
海外から来る人の受け入れも行った。
自分が行くのはもちろん面白いのだが、
来訪する方と目的を共有した受け入れ業務は、エキサイティングだ。
充実や満足の表情を見ることはプロジェクト主催側の醍醐味と感じる。
ここにも今後10年、きっと大勢の人が来るだろう。
2011年10月30日は、全日空㈱とJTB法人東京㈱のご協力で
被災海岸林視察に新型ボーイング787機から170人が降りてきた。
http://www.oisca.org/kaiganrin/blog/?m=20111030
我々中核は少人数。追われ追われて仕事をしている。
およその所要時間は把握していたが、大型バス4台が順繰りに
4か所の視察箇所を回るシュミレーションを正確に測ったのは、前日。
しかし、思いの外、どんぴしゃり! にやり。
くたびれ、安心もして、早く寝てしまった。
当日朝、しわ寄せは学生インターンの秋山君に。
彼のおかげで、短時間で見事な時刻表が出来た。
待ち構えるバスの運転手さんにそれを渡した。
最終打ち合わせは5分で終わった。
それは JTB法人東京さんの手際よさもあっての事。
準備万端!と思えたのは、170人には申し訳ないほど間際。
「お待ちしておりました!」のオイスカの笑顔の出迎えの裏側は
ご存じのとおりこういうもの。(以後、改善に務めねば)

2011年9月29日~10月1日、我々調査団は10名。
二手三手に分かれ幾つかの調査を行った。
人数が人数のため、節約してち内陸4km、津波高1mの地区の
閉店休業中のコンビニの上に空き家があることを知り、
市議の紹介もあって拠点にした。
その時期、まだ電気が通ってなく、発電機を使って明かりを灯した。
食事は、拠点の隣で早や開業し、今でもよく通う「ねぎっこ」。
太麺のラーメンが私にはおいしい。
トイレもそこをお借りした。
30日の調査後、突然「集会所に来てほしい」と地元の人たちが
言っていると言われた。まるで見当がつかなかったが、
9月6日の激しい議論の後だったので、「吊るし上げか?」と一瞬思った。
でも「全員で来て」と言われたし、それはないか。
豪快に煙が上がっていた。地元の人が30人はいる。
オイスカ本部に7月11日に泊まった人の顔がたくさん。
「とんちゃん」(地元の人が大好きなホルモン焼き)だ。
こんなおもてなしを頂くなど、一つも知らなかったので、
本当に驚くしかなかった。
9月22日にはプロジェクトを公表するプレスリリースも出していた。
この様な表現方法で地元から認めてもらえたことは、
我々らしく思えて嬉しかった。

畑の美しさにまず目を奪われた


2011年9月29日、名取の農家代表3名と我々関係者10名、森林組合、種苗組合組合長と専務理事、宮城県庁の総勢17名で宮城県蔵王町の育苗専業農家を視察した。
私にとっては、茨城県に遊びに行ったときに苗畑の横を通ったぐいで、視察などしたこともなく、畑で女性が除草作業をしているのを見たことがある程度。
書物以外の知識はまるでなかった。
 
 
 

新しい仕事に取り組むみんなの真剣さに心も奪われた


車から降りた直後から、組合長の説明がはじまり、我々は質問をすごい勢いでぶつけていった。時間の感覚はまるでなかった。
「専業」という存在はきわめて稀である。
震災前に宮城県でクロマツを育てていたのは6人。一人は失敗して全滅させたと種苗組合の組合長から聞いていた。
「日々、まじめに取り組まなければダメなんだ」といつもおっしゃっていた。
私が林業会社に務めた2年間で、木を植えたのはわずか半日。
しかも、小学生の指導。はっきり言って、伐る仕事しかしたことがない。
(神奈川だから少々極端ですが)
経済林の苗木を育てる仕事とは、それだけ山には需要がないのが常である。
国産材の需要がもっと社会から理解されれば、状況は変わると思う。
また、野菜と違い、注文から出荷まで2~3年という非常に長いスパンがある。
当然、納品して初めて代金は支払われる。
出荷のころには需給の情勢が変わって、大幅出荷減という事もあり、
泣く泣く燃やした揚句、警察に通報されたという実話もあるという。
世間ではそういう現実は残念なことに知られていない。
今回のように当面の安定大量需要が見込まれることなど、
少なくともこの20年、30年なかったのではないか。
市民の手で苗木を作りたいという反面、これで長年生計を立ててきた人もいる。
2011年4月にはそのような現実をある程度把握したうえで行政や種苗組合と
折衝を重ねてきたが、「ともに手を取り合って海岸林の再生に力を尽くしましょう」と
この日も組合長が言った通り、種苗組合として、「オイスカや名取市の農家は
既存農家を圧迫する考え方がない」と理解していただいたことにより実現した。
私のカメラのファインダーでは見えない場面で、オイスカ以外の多くの方の
ご尽力もあったことは容易に想像がつく。
櫻井さんの奥さんは、「ここに来るまで、とっても不安だった」と打ち明けて下さった。
みんなで将来のイメージを共有した。空はすごぶる快晴だった。
決して忘れることのない有意義な視察となった。
しかし、正式な種苗組合員になり、県から種苗組合を通じて、種子の払い下げを
受けるには、まだまだ、先の道のりがある。

これ以上ない快晴であったことは忘れられない

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