西友レジ募金体験レポート!
現在、西友で実施中のレジ募金。
「いつもおつりを募金しているよ」「買い物のついでに募金したよ」
という声をいただき、大変うれしく思っています。
ただ、
「オイスカの募金してるの見たよ(募金しなかったけど・・・ということだと思われる)」
「海岸林の募金西友でやってるね(募金してないけど・・・ということだと思われる)」
というあと一歩!の声が多いのも事実。
・・・ということで、募金方法(本当に簡単なのです!)を知っていただき、
西友でお買い物をする皆さんにご協力いただこうと、募金体験をレポートします!
レジに行くとこのように募金カードが設置されています。
会計の際に、「海岸林再生募金」と書かれている緑色のカードを取って、買い物かごに入れるか、お店の方に手渡して希望金額を伝えます。
今回は「100円お願いします」と伝えました。
(10円でも1000円でも「おつり分お願いします」でも大丈夫です)
このように画面に希望した金額が表示されます。
(この画面を撮影しようと思ったのですが、カメラの準備ができる前に店員さんが次の操作に移ってしまい、画面が変わってしまったので、もう一度100円追加で募金をしてこの画面を撮影してきました……)
はい!これだけです。
とても簡単。募金箱にお金をチャリンと入れるのと手間は変わりません。
西友でお買い物の際にはぜひご協力ください!
全国の防災機能を期待されている海岸林を数々見てきましたが、なんとなく、ほんとに何となくですが、海に面した最前線は「県有林」であることが多 いような気がします。
例えば名取で言うと、「3層」になっています。
一番内陸側(イラストでいうと左側)は国有林、真ん中は市有林、一番海側は県有林です。
この他にごく一部、私有林や共有林が あります。
所有者が違うのです。
国有林は林野庁が、それ以外は県が中心になって管理・整備が行われます。
樹齢は大まかに言って、内陸側が樹齢が高く、海側が最も若いです。
海側へ向かって森を広げていったことがわかります。
各地で「国有林は県有林を犠牲にし、津波を経ても生き延びた」と揶揄する声を聞きました。
そもそも、最前線は「犠牲林」という言い方も聞きます。
常日頃から、最も厳しいスト レス下にあり、体を張って後ろの木を維持していると言えます。
200m以上の森の幅があると、飛砂・防風・空中塩分の捕捉・防霧に効果を発揮します。
工場や宅地、農地を広げるために海岸林を払い下げて行った話もよく聞きました。
幅が足らなくなり、海に向かって必要な幅を確保しに行ったのだと思います。
また、近年は山の治山工事がすすみ、川から昔のように砂が流れてこなくなり、
「海岸浸食」という新たな問題も全国で起きています。
つまり、砂浜自体が少なくなっているのです。
これから3.11を前に、メディアで出てくる言葉だと思います。
私は最初に感じたのは2011年の夏でした。
個人的な感覚ですが、この言葉を見ても、聞いても、
何の危機感も、違和感も、嫌悪感もありません。
風化については震災後半年で明らかに感じたし、
ある意味、風化は無理もないと思います。
風化を嘆くゆとりも、忙しくて感じる余裕もないのが正直なところかもしれません。
正確に言うと、対策は考えていますが、特別に風化を防ぐ努力はしていません。
皆さんに協力を得られるように、より本質的な仕事に近づく努力をするのみです。
だいぶ昔にブログに書いた気がするのですが、阪神大震災の時、故あって、
東京で後方支援業務、資金とボランティアを調整する仕事を任されました。
当時は、社会人1年生で、目の前の事で精一杯でした。
実施期限を3か月と決めて臨んだこともあり、今のようにうんと先の事は考えていませんでし た。
だから、終わった後は、精一杯やったという気持ちもあったのか、その後は
目をそむけ、見ぬふりをし、テレビで震災〇周年 と言っても、チャンネルを替えたほどでした。
若い頃の正直な姿も思い出しながら、震災2周年を迎えようと思います。
被災地復興支援 アクションキャンペーン
「ボランティアをしたい」という問い合わせをよくいただきます。
現場では現在、育苗場での作業はないことを説明してご理解いただいています。
春以降、呼びかけを行っていきますので少しお待ちください。
ただ、「それでも何かしたい」「現場には行けないけどできることがあれば」
という方には事務所での作業をお手伝いいただきたく、
来週一週間、毎日ボランティアの受け入れを行うことにしました。
ぜひ多くの方にご参加いただければと思います。
詳細はこちらをご覧ください。
「被災地復興支援 アクションキャンペーン」
募金の募集も行っています。
あわせてご協力お願いします。
松の字のつく「有名人」とはなかなか出会いがありません。
ですが、一応出会いました。
先週のNHK大河ドラマ「八重の桜」を見ていて。
「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」
久々、この言葉を発した吉田松陰さんに触れました。(無理やり)
「至誠をもって対すれば動かすことができないものはない」という意味です。
高校生の時に本で読みました。
私、ドラマを見ているとよく泣いてしまうんです。
ドラマ以来、頭からこの言葉が離れません。
気持ちの支えになっています。
さらけ出しついでにもうひとつ。
思い続けていれば、この仕事を通じて、松がつく女優に会えるのではないかと。
一応リストアップしてあります。
広島でクロマツの種が芽吹きました
『オイスカ広島県支部の行事で昨年ご講演いただいた、詩人で、画家でもある加納千里子さんのお宅“志葉多寿し”の行燈です。
また、“千里子さん”の年賀状では海岸林再生の呼びかけがありました。
一日も早く(といっても随分の時間がかかりますが)白砂青松の海岸がよみがえるとよいですね。』
以上、広島県支部事務局ご担当からのメールより。
見事な行燈に感激しました。
広島県内でも加納さんをはじめ多くの方が「ご寄附のお願いのチラシ」を各地の森林公園などに設置して下さり、その甲斐あって支援者が続伸しています。
ありがとうございます。
行燈にはこんな素敵なクロマツが描かれています。
「失われた東日本の
海岸林再生プロジェクトが立ち上がりました。
10ヵ年計画という大変な事業ですが、
今、小さなクロマツの苗がすくすくと育っています」
と苗の成長についても触れてくださっています。
振り返りブログ29 もう吉田とは、くづきがねえ!(口きかねえ)
我々は北原東の育苗場候補地にたどり着く前に、7月には内陸4kmほどの
土地を有力候補として考えていた。土は抜群に良かった。
オイスカの渡邊副理事長も、「雑草の葉っぱがとても大きく、種類も多い」と言っていた。
しかし、3反程度しかなく、周囲の別の地主さんの理解を得て、
もう少し広い土地を確保する 算段だったが、その折衝が不調で、拡張は困難と判断した。
そのため、海方向の土地が浮上した。
その情報シェアに一部齟齬があり、地元の人たちを怒らせてしまったのだ。
その方たちは、内陸に土地を借り、農業を再開していた。
まだ、 「海を見たくない」「海は怖い」という心理が強く残っている。
行きたくない方向を選んでしまったのだ。
「なぬ?!」となる。
自分たちは自分たちの畑で、手元でクロマツを育てたいという気持ちがあった。
一瞬の情報共有を怠ったこともあり、それとは違う方向に見えたのだろう。
つゆ知らず、判断の方向を説明に行ったら、思わぬ表情をされ不穏な空気を感じた。
いったんは引き取り、後日すぐに、佐々木さんと説明に行った。
ものすごく険悪な雰囲気になった。年末の忘年会の「とんちゃん」まで険悪なムードは続いた。
本当に不承不承、納得していただいたが、私だけの力では到底 おさまらなかった。
当時は、施設環境を一極集中しようと考えていた。
このようなドタバタがあり、内陸に拠点を設けた北釜の方たちの「膝元で育てたい」という気持ち
もはっきりし、あくまでも結果論だが、育苗場は第一と第二に分け、お互いが切磋琢磨すると
いう発想が幸か不幸か浮上したのだった。
Tさんには、2 月頃まで、「あのころは、もう吉田とはくづきがねえ!」と思ったと何度も言われたのだ。
地元の人を後押しするのでなく、自己中心の発想が頭をもたげたことを反省した。
振り返りブログ28 育苗場となる土地との出会い
2011年11月26日、名取市下増田北原東、のちに第一育苗場となる土地に立った。
「名取市海岸林再生の会」会長の鈴木さんの教え子であるご夫婦の土地だという。
貞山堀からわずかに内陸。広浦の南端で海岸林や宮城県立農業高校の跡地とも近い。
仙台空港は南方向に大きく見え、空港アクセス線の通過もよく見える。地主さんの家は、頑丈な作りと後で知ったが、流されていないことが信じられなかった。
注目したのは、海岸波打ち際から 1.4kmのこの場所で、
家庭菜園(といってもそう狭くはない)を既にしている事だった。
肥料となる草も植えていた。
震災後に山砂を50cm盛って、防風ネットも震災後に張ったという。
その50cmは大きい。
対象地の周りの雑草は葉も小さく、雑草の種類は少ないことからして良い土ではない。
しかし 対象の土地は、5反以上ある。立地も海岸林に近く、申し分ない。
数ヵ月いろいろ見てきたが、直感としてここに決まる気がした。
あとは土と水の部分で確信を持てるかどうかだ。
数日後、鈴木会長をはじめ、佐々木さんご兄弟、種苗組合長の太田さん、清藤先生にも見に来ていただいた。
太田組合長は、土を口の中に入れた。 その場で「大丈夫だぁ~」と。
みんな笑顔がはじけた。
後日、地元の人も加わって、土壌分析や水質調査も行った。大方の判断は、「大丈夫だろう」と。地下水の塩分が時季により上昇する危惧はあったが、地主さんが先に畑を始めている事なども判断材料になった。私は、見ているだけでは何もわからないのだが、何度も何度も、舐めるように歩いた。
しかし、この時、一つ基本的な落ち度があった。
地元の方に「もう吉田とは口きかねえ!」と数日後に言われることになる。
【お詫び】
いつもご覧いただき、とても感謝しております。
お伝えしたいことはたくさんあるのですが、
最近このブログの文字がきれいに揃わなくなっています。
原因がわからないため、
週末に専門の方のアドバイスを受けます。
それまでしばらくお休みさせてください。
本当に申し訳ありません。
海岸林再生プロジェクト担当 吉田俊通
桜開花予想 in仙台
先週、桜開花予想の記事を河北新報で読みました。
今年は平年並みだと書いてあったような。
ネットではこのように。http://sakura.weathermap.jp/
昨年はと言えば、宮城で記憶にあるのは、ソメイヨシノなどまるでない名取の寒空。
昨年は寒かったですね。私の滞在の多くを占めているのは名取の沿岸部。
ソメイヨシノは塩水にめっぽう弱く、亘里町でも阿武隈川の河口付近の土手沿いの桜並木が無残な枯れ木で残っていたのを忘れません。沿岸部では桜並木を見ることはできません。当分。
クロマツと同様、被害にあったのです。
でも、その分、東京では昼も夜も、40数年で一番ゆっくり桜を楽しみました。
今年はどんな春が来るのかな。
たぶん、満開のころは、クロマツの種蒔きと移植などなどで、忙しくて、宮城ではゆっくり桜を愛でることは出来ないかもしれない。
いつの日か、沿岸の桜並木も復活するのだと思います。