広葉樹苗の今

2014年1月7日( カテゴリー: 広葉樹, 現場レポート )

コナラ平均30cm程度

コナラ平均30cm程度


年末に、あるグループが育苗場に来てくださいましたが、広葉樹の苗床を案内したとき、
「全部枯れているじゃない!」
と真剣に大きな声で言われ、ハッとしました。
成木だけでなく、苗も落葉することを念押しするのが一瞬遅かったか…(笑)見事に落葉していると言えばその通りで、何とも思っていませんでした。
一般の方が広葉樹の苗畑を見る機会はなかなかないですよね。仕方ないです。
クロマツ9割、広葉樹1割のイメージを描いていますが、2013年はクロマツに集中し、広葉樹は本当に試験的に始めたわけですが、やはりいろいろ育て方の違いがありました。
肥料のやり方によっては、もっと苗高を伸ばすこともできます。
1年で十分植栽できるのですね。
私たちは敢えて、ほとんど追肥しませんでした。
クリ平均60cm程度

クリ平均60cm程度


来年は、ケヤキとヤマザクラも始めます。
秋には内陸防風林用にヤブツバキの種子を拾うことになるでしょう。
小さな粒がケヤキの種子。 わかりますか?

小さな粒がケヤキの種子。
わかりますか?


 

気持ちも新たに仕事始めを迎えました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
正月はいつも以上に新聞を読む時間が取れました。
2020年は東京オリンピックの年となりましたが、
奇しくもこの年は、実にさまざまな節目の年なのですね。
多くの課題の中期計画目標年であることを、あらためて知りました。
世の中自体もきっと様変わりしていることでしょう。
2020年といえば、震災から10年を迎え、
植えてきた木々が長期的に管理がなされるよう移行してゆく節目の年です。
宮城県復興計画では、
2013年までが「復旧期」
2014年~2017年までが「再生期」
そして2020年までが「発展期」です。
震災直後に発表された県のこの計画を、
強く意識して「海岸林再生プロジェクト10ヵ年計画」をすすめてきました。
私たちにとっての2020年は、名取市海岸林再生の会を
「名取市海岸林を守る会」に組織変更するための大詰めに入っている計画です。
2033年までの下草刈り、つる切り、雑木の除伐などの管理経費を含む
総経費10億円は集め終わり(目下、あと7億円強です)、
先駆けてきた現在の再生の会メンバーや、若い世代を含む地元市民とともに、
先々の計画について話し合っている事でしょう。
できれば、(先日ブログで紹介した「浜松・三方原防風林」がある開拓記念碑のように)
しっかりした石碑を立ててから、守る会に移行したいです。
名取事務所の佐々木統括とは、クリスマスの日、
2013年最後の雑談として、「2020年には現代の愛林碑を立てよう」と話したばかりです。
この年までに海岸林再生予定地への植栽を終える計画で、
最初に植えた木は、高さ1.5mの防風垣を超える寸前になっているのではないでしょうか。
雑草や雑木も増えているでしょうから、多くの方の協力を得ながらも、
広大な面積の下草刈りに追われているのは間違いないですね。
ニセアカシアなどはきっちり駆逐したいところです。
私も50歳を超えても林業会社在籍当時のように、
若い職人さんに混ざって刈払機で作業しているかもしれません。
海岸林の内陸側の農業には本当に期待しています。
若い世代も混ざって6次産業化し、世界に輸出する勢いで農産物を作っているといいなといつも思います。
うちには2人の中学生がいます。
オリンピックには出てないと思いますが、
選手としては今の中学生ぐらいが中心として活躍するんでしょうね。
世の中は成熟し、東京オリンピック一色となっていたとしても、
僕らは僕らで賑やかで忙しい毎日を過ごしていることでしょう。
いつか、そういう好き日を迎えられるように、
健康第一を肝に銘じて、多くの方とともに一つずつ頑張ろうと思います。
今年も忙しくなるなあ。

プロジェクト長期フロー

フロー

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本年もよろしくお願い申し上げます

2014年1月1日( カテゴリー: 本部発 )

謹賀新年

あけましておめでとうございます。
旧年中はさまざまなご支援ありがとうございました。

今年はいよいよ“植栽”がスタートします。
クロマツたちは今いる育苗場よりも
さらに海に近い環境に植えられます。
半分以上が枯れる厳しい環境です。

枯れたらまた植えます。また枯れたらまた植えます。
400年前から続いてきたその地道な取り組みの始まりです。

どうか、『100年先の地域住民を守る森づくり』の視点で
長く、あたたかく見守ってくださいますようお願い申し上げます。

matsu

 

今年最後のご挨拶

2013年12月27日( カテゴリー: 本部発 )

手前は舗装工事された農道。土の山はこれから整地される土。その奥が海岸林予定地

手前は舗装工事された農道。土の山はこれから整地される土。
その奥が海岸林予定地


海岸林造成予定地のすぐ内陸側では、農地復旧のための客土も本格的に始まりました。我々の活動によって最も恩恵を受ける海岸最寄りの農地です。津波が進入した遥か内陸の農地から、いよいよ海に迫るところまで来たのです。
「美田園」駅の北側では、仮設住宅からの引っ越し先、マイホームになる復興住宅用地の造成も始まりました。
防潮堤も、海岸林植栽基盤盛土工事も、宮城県南部全域に延伸が進んでいます。
 
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復興住宅用地造成工事


 
 
育苗場の地主さんは、被災後にリフォームをしたにもかかわらず、そこが居住禁止区域だということで、十分住める家を手放し、新居で新年をお迎えになります。
もうお孫さんを迎えに来る保育園バスを見ることもなくなるんだなあ。引っ越しの最中、「お互いに忙しい1年でしたね」と声をかけてくださいました。
 
 
我々もSomething New。前田建設工業㈱のご支援による資材収納用倉庫です

我々もSomething New。
前田建設工業㈱のご支援による資材収納用倉庫です


 
「毎回現場に来るたびに、何かが変わっている」
「確実に一歩づつ前に進んでいる」
我々も!と、足を踏み入れるたびに、いつも思います。
今年も大変お世話になりました。
心から御礼を申し上げます。
皆さまにとって、よい年となりますように。
 
 
DSC_0077

コンテナ苗は、冬越しのため
全てビニールハウスに収納しました


DSC_0088

名取事務所は年末まで多忙


 
 
 
 
 
 
 
立派な苗木が育っています

立派な苗木が育っています


私自身もリフレッシュして、またブログも再開したいと思います。
しばらくお休みをいただきます。
いつも読んでいただいて、ありがとうございました。

スマトラ沖地震

2013年12月26日( カテゴリー: 本部発, 海外との連携・発信 )

広報室の林です。
担当の吉田が仙台に出張中。
緊急に何かあればメールで連絡が入るのですが、
夕方、「今日はインド洋大津波の日」という
タイトルだけのメールが送られてきました。
・・・というわけで今日のブログは留守番の林が
2004年のスマトラ沖の大津波後の復興支援について触れたいと思います。
私が静岡から東京の事務所に異動してきたのは2011年。
東日本大震災の年でした。
そしてその年の5月、私はインドネシアのスマトラ島のアチェに行く機会を得ました。
オイスカがアジア開発銀行からの資金で実施したアチェにおける
震災復興支援プロジェクトが最終年を迎え、その視察に出かけたのでした。
まだ形はなかったものの、すでに「海岸林再生プロジェクト」の構想を練っていた吉田からは
「しっかり震災復興の様子を見てくるように」と言われたのを覚えています。
CIMG0140オイスカはアチェでマングローブの植林や地域住民の生計支援につながるさまざまなプロジェクトを展開していました。ソフトシェルクラブの養殖・販路拡大、チョコレート生産・販売、えびせんべいの販売など多岐にわたっており、それぞれのプロジェクトで地元の若者が生き生きと活躍していたのが印象的でした。
もう一つ印象的だったのは、「津波は家や人々の命だけではなく、紛争も流してくれた」という声でした。アチェは震災前までは紛争が続く地域でしたが震災後は、人々の力を紛争ではなく、明るい未来をつくる復興に向けようという機運が高まったという話を聞きました。すべてを失うのは悲しいことですが、負の体制を一から作り直すことにもつながるのだと知りました。
東日本大震災のすぐ後の出張だったため、アチェの人たちは日本人だと知ると「ツナミ、サマサマ」と手を強く握ってくれました。サマサマは「同じ」という意味のインドネシア語です。「私たちも大変だったよ、日本も大変だけど頑張ってね」と言われている気がしました。
下の写真は小さな震災記念館のようなところで見た写真です。
津波で流され、亡くなった方たちの姿もたくさん写っていました。
東日本大震災後、日本の報道では見ることのなかった被災地の惨状を見た思いがしました。
CIMG0189 CIMG0183
 
 
 
 
 
CIMG0179
 
「TSUNAMI」は日本語ではなく世界で通じる言葉になりました。日本は、震災後の復興支援だけではなく、世界中で起きる地震やそれに伴う津波、他にも台風やサイクロンといった自然災害から人々の生活を守る「防災」分野にも大きな役割を果たすべきだと感じます。
私がたちが「海岸林再生プロジェクト」の現場に多くの外国人記者を呼ぶ理由もそこにあります。
被災地の復興と同時に、日本全国、あるいは世界中の防災意識向上につながるプロジェクトでなければならないと感じています。

マツ

2013年12月25日( カテゴリー: 本部発 )

実感はありませんが、あと数日で新しい年を迎えます。
スーパーでもお正月飾り用のマツをよく見るようになりました。

マツは縁起のいい樹木とされています。
常緑であること。悪条件でも根を張り、育つこと。
さまざまな説がありますが、神様が宿る神聖な木でもあり、
神様を「待つ」あるいは「祀る」というマツの音も確認できます。

先日、テレビでむかし話を見ました。

読み書きのできない奥さんが、大酒飲みのご主人に
愛想をつかして家を出てしまうお話です。

家を出る時、彼女はカエルの絵を描いて置いていきます。
「実家に帰る」というメッセージとして。

実家にいても実はさみしくて仕方がない奥さん。
商人に頼んでご主人のもとに小石を届けます。
「恋しい、会いたい」というメッセージとして。

ご主人が商人に託したものがマツでした。
「帰っておいで、待ってるよ」と。

育苗場のマツたちは、寒い冬が去るのを待ち、
来年の春の植栽の日を待っているようです。

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こんにちは。
ANAすか隊の庄司和佳子です。
今回は10月に行った仙台空港空の日の活動で集まった募金を渡しするため、
隊長以下4名で、OISCAさんの事務所へお邪魔しました。
事務所では大掃除の真っ最中。
お忙しい中お時間を頂いた上に、とっっっっっっても美味しい猪鍋まで御馳走になり、
ANAすか隊のメンバーも本来の目的を忘れてしまいそうでした。
少しですが、お掃除も手伝いましたよ~。
DSC_3716さて、以前ブログに書かせていただきましたが、仙台空港空の日で集まった金額は54,732円。
活動が終わってから2か月以上経ってしまいましたが、やっと無事にお渡しすることができました。
今後の海岸林再生プロジェクトに少しでも役立てていただければ嬉しいです。
これから厳しい冬。松たちも乗り越えなければならない時期ですが、私たちANAすか隊も次の活動に向けて、これからも活動して参ります!!

今年の作業納め

2013年12月20日( カテゴリー: 現場レポート )

こんにちは。
名取事務所の菅野です。
昨日、今年最後の作業を「再生の会」メンバー全員で行いました。
それは、コンテナ苗のお引越し。
hikkoshi1← ハウスの外に並べてあったコンテナ苗をハウスの中に移動させる作業です。
↓ 前日、ハウスの中を消毒しました。
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地面からコンテナをはがす作業。結構重くて大変でした。
右の写真のように、根がコンテナを突き抜け、地面にしっかりと張っているからです。
小さく見える苗ですが、立派に根を伸ばしているのですね。
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一輪車を使いますが、それでも一度に大量には運べません。
運んだらコンテナをハウスの中に並べます。
hikkoshi5 hikkoshi6
 
 
 
 
 
 
仕上げは今年最後の散水。もう肥料も水もあげません。
しばらくハウスで「おやすみなさ~い!」
hikkoshi7 hikkoshi8
 
 
 
 
 
そして作業の後はいつもの休憩室で慰労会?忘年会??
皆さん、今年一年ごくろうさまでした。
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ぜひともご紹介したい人

2013年12月19日( カテゴリー: 本部発 )

2011年5月24日陸上踏査初日から同行。

2011年5月24日陸上踏査初日から同行。右が小野さん


80歳のオイスカマンが、先日開催した仙台駅構内における写真展の立ち仕事の最前線を、3日間すべて担ってくださいました。
オイスカ宮城県支部事務局長の、小野喜代寿さんです。元カメイ㈱の社員で、宮城テレビ放送の副社長もされていました。もう10年近く、オイスカ事務局を完全ボランティア、フルタイムで担って下さっています。前田建設工業OBの角田さんなどのご協力も得て。
写真展2日目の晩、いつものように飲みに行きました。
相当疲れているはず。足腰が痛いことでしょう。
「ゆっくり座ってくださいね」と声をかけ、座敷に座った途端、どすーんと。
2・3杯飲み干してから、「実は写真展の3日前、家の中で転んでしまって角で腰を打ったんだ。しばらく動けなくってねー。しばらくしたら肘も痛くなって」
「(手伝う予定になっていたオイスカの会員さんに)もし動けなくなったら現場を頼む。でも吉田君には言うなよと口止めしたんだ。そんなこと言ったら止められるから。彼、言わなかったでしょ。あははは。」
これには参りました。全く気が付かず。
「絶対に行くんだと思っていたんだ。写真展初日の朝は、気合が入ったねー」
アメリカ人大学教授からその場で寄附をいただきました

アメリカ人大学教授からその場で寄附をいただきました


ほぼ3日間、立ちっぱなし。
休んで下さいと背中を押してご本人を動かさないと、休憩を取ろうとしない。
「明日の朝は、少しゆっくり来てください」と言っても、「はい、分かりました」と。
結局少しだけしか遅れてこない。
外国人が来ても、英語でにこやかに接客。とにかく楽しそう。常に自分から積極的に声をかけている。
疲れを見せない。
 
2011年5月24日初めての地元名取市民との協議にも同席。左から二人目

2011年5月24日初めての地元名取市民との協議にも同席。
左から2人目


 
震災前、学校林の仕事で宮城中央森林組合とのご縁を作って下さったのも小野さん。
多くの宮城県支部会員がスムーズに海岸林を応援して下さり、現地支援者ネットワークをあっさり形成できた、陰の立役者も小野さん。
支援者の方はみんな、慕っています。
震災直後5月の初めての陸上踏査はもちろん、節目節目を支えて下さっています。身近にいて、やはり組織のトップをされた方。勝負のタイミング、危険予知、日常の周囲へのお心遣い。
無二の存在です。

仙台空港空の日

2013年12月18日( カテゴリー: お助け隊員の声 )

こんにちは!ANAすか隊の庄司です。
もうすっかり冬ですね。
私は宮城県岩沼市の出身でいろんな方に
「東北人だから寒さには強いでしょ?」と言われますが、私は寒さにめっぽう弱いです。
皆さまはいかがでしょうか?
そして今年の秋は台風が次々と発生しましたね。
我ら航空会社の敵は天気なので、この秋の台風は少しばかり迷惑でした。(笑)
そんな秋の台風の勢力にも負けず、私達ANAすか隊も10月13日に
「仙台空港空の日」に参加して来ました!!
前編でお伝えしたカラフルなまつぼっくりですが「んだまつ作成教室」に使うものでした。
ANAぼっくりと同じで全て飛行機に使われる塗料を使用しています。
筆者はピンクがお気に入りです。
さてこのカラフルまつぼっくり達ですが、仙台空港に遊びに来てくれた方が
親しみを持って作成教室に参加してもらう為に
「まず私たちが見本を作ろう!」と意見が出ました!その名も…
NDM47(んだまつ47)!!
47都道府県をイメージしたんだまつ達です。羽田空港の会議室で一斉に工作に取り掛かりました。
女性の皆さんは器用に、男性は慣れない工作に悪戦苦闘しながらもオリジナリティあふれる作品を作りました!
各ANAグループ社員が作ったNDM47がこの写真です!!

ご当地んだまつ

ご当地んだまつ


 
 
みなさんはどの土地をモチーフにしているかわかりますか?ぜひ当ててみて下さいね!
そして予想通り、当日このNDM47はご覧頂いた多くの方に大好評でした!
特に宮城の伊達政宗に扮した子が好評で、多くの方が写真を撮られていました。
 
NDM47は良いPRとなり、多くのお子様(大人も!)が「んだまつ作成教室」に参加してくれました!!
それぞれの個性を持っていて世界にひとつしかない「んだまつ」を完成させました!
子どもたちの想像力って無限だなぁ・・・。
会場の様子

会場の様子


 
さてメインである募金活動のお話しです。
募金を頂いた方にお渡しするノベルティですが
「ANA ぼっくり」を約450個と「松葉のしおり」を約100枚準備しました。
ANAグループの抜群のチームワークで積極的に募金を行いました。空の日の会場は様々なブースにステージイベント等、とても賑わっていまして…
隊員たちは、大声を出して募金の呼びかけを行いました。(終わったあとにはガラガラ声の人が多数…)
 
今年もANAぼっくりが大好評!用意していたノベルティは全て配り終えました。
中にはノベルティがないにもかかわらず募金にご協力してくれた方もいらっしゃって、私達は感無量!
みんな笑顔になりました★
募金金額ですが54,732円集まりました!(私の数え間違いでなければ…)
銀行へもって行き、金額の確認が出来た後にオイスカさんに寄付します!
今年も反省すべき点がたくさんあった空の日でしたが無事に終える事ができ、
お客さんも私達も笑顔になれた素敵な一日でした。
また来年も参加したいと思います!
来年こそはもっと準備に時間を掛けて余裕を持って取り組みたいものです(笑)
来年の空の日もお楽しみに~★

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