「名取耕土」復旧の今

2015年3月3日( カテゴリー: 現場レポート )

宮城県北部には「大崎耕土」と呼ばれる有名な一大農産地があります。
震災後初めて地上から名取に入った2011年5月24日の夜、地元農家から「名取耕土」という言葉を聞きました。
しばらくは、農地を誇りに思う気持ちからの「造語」と思っていました。
オイスカ第1育苗場から車で5分。
植栽現場のすぐ近く、海水が混ざる入江「広浦」の南端にある「愛林」碑には、以下の記述があります。
『(50haの)国有林のみにては数千ヘクタールに及ぶ「名取耕土」を潮害より
保護するには若干の不安を感じたので昭和二十三年(中略)十ヶ年計画の下に
萱生湿地帯に盛土工事を施し防潮林を造成することになった』

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震災から半年後のビニールハウス団地(1,000棟)跡地。 撮影:2011年8 月12日


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ビニールハウスの骨組みが次々につくられている。  撮影:2015年2月25日


名取耕土の言葉は、農家が先祖から受け継がれた言葉なのです。
地元で言う「名取耕土」は4,460ha(市面積9,800ha、市全体浸水率28%)
農業就労人口は4,433人(名取市人口7.6万人)
*引用:「東日本大震災名取市民の体験集」(名取市役所)
2011年の大津波で、農地2,700haが浸水。
農地復旧工事は最も内陸側から順々に沿岸に進んできました。
まず、震災前までの区画通り原状復帰され、地権者引き渡しののち、地主それぞれの判断で、1ha単位の大区画化が進行しています。
海岸林のすぐ背後には、空港近くの「北釜地区」100世帯400人、うち農業従事者300人が働いていた70haの農地があり、2014年12月に晴れて地権者に引き渡されました。
名取市海岸林再生の会の鈴木会長は、株式会社名取北釜ファームの副代表となり約8haに160棟のビニールハウスを春までに建設しようと奔走しておられます。
目指すは青梗菜、小松菜、ちじみ菜、雪菜など8種の栽培。
その他、8haで別法人が、30haで菜の花プロジェクト(養蜂)が、20haで各個人が農業再開に動いています。
再生の会のメンバーの大半は、この70haとは別の場所でそれぞれ従事しています。
今日は、日本農業新聞の記者さんが取材に来ます。
JA名取岩沼が毎年2月に出す、下増田の農業共販実績も出ました。
農業と海岸林の話を地元の人と一緒に説明したいと思っています。
大崎耕土も、名取耕土も、伊達政宗公と家臣たちが懸命に作った耕地。
農業をやろうという若い人がもっと出てきて、耕土が永遠にというのは
立場を超えた共通の願いです。

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「俺は手袋つけてちゃ草取りできない」「俺はナシじゃできない」と、人それぞれ。でも、両名とも道具は使わない


2月24日、名取市海岸林再生の会は、数日前に幹部会議を行った後、ほぼ全員が出席し「全体会議」を行い、H27年上半期事業を再確認。
計画としては、
3月15日(日)予定通り、「歩こうツアー」など防災会議関連行事を「定期活動報告会」に位置付ける。
3月中旬~ コンテナ土詰め等本格開始
4月下旬~ 播種、植栽開始
5月中   植栽終了
育苗本数:約17万本
*内訳 H26年播種 約8万本、H27年播種約9万本(粒)
*H27播種の種は、宮城県産抵抗性・精英樹クロマツ、岩手県産抵抗性アカマツ、
兵庫県産抵抗性クロマツ、福井県産抵抗性クロマツ。
宮城県産抵抗性クロマツは、10数年前に網地島に植栽した抵抗性クロマツから
採種したものも含むとのこと。
植栽面積合計計 9.75ha
*内訳 海岸林植栽:7.9ha(主に空港誘導灯南側市有林)
内陸防風林植栽:1.85ha(共有林)
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コンテナの追加、培養土700袋、土壌改良用肥料500袋も納品されました


植栽本数:49,822本
*購入予定なし。すべて自前で賄う。
植樹祭 5月23日(土)9:00~12:00 約2ha 10,000本
*地元募集開始 3月15日~ 先着500人(地元各種組織から既にオファー多数)
「これまで通り、自分の生活と農業を第一優先に、互いに協力し合い、空いた時間をクロマツに割いて、粛々と事業を進めていこう」と確認しました。
先週も今週も、まずは「コンテナ苗」の除草作業に、再生の会メンバーは
代わる代わる、来てくれています。

2月25日、宮城テレビ放送㈱の仲立ちで、24時間テレビチャリティー委員会から、4輪駆動軽自動車を寄贈いただきました。

納車後、育苗場にて

納車後、育苗場にて


 
 
 
 
 
 
 
これで植栽現場で、泥濘や砂に「刺さる」ことも無くなると思います。
この前は、経済同友会の常務理事さん一行が現場に来てくださったとき、砂にはまり、みんなで他の工事関係者の手も借りて苦戦して脱出したこともありました。
植栽現場のクロマツと共に

植栽現場のクロマツと共に


 
 
 
 
 
 
 
融雪剤対策として防錆加工し、ナビもETCも付けたので、再生の会の皆さんが種苗組合の講習や研修で、遠路、慣れない他県に行くのも楽になると思います。4月下旬から1か月は、毎日植栽現場に最大積載量350kgにもなる水タンクを積んで往復します。
植栽現場と新車両

植栽現場と新車両


 
 
ご関係の皆様に心から御礼を申し上げます。

岩手県田老町を歩きました

2015年2月26日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )

またとない岩手出張。
大槌町のシンポジウム終了後、宮古から北へ足を延ばし、
岩手北部の復旧の状況を見にゆきました。

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「X堤防」のX上部。右上が直撃を受け壊滅。           中央上が田老観光ホテル。


日曜日にもかかわらず観光客は決して多くなく、「春節」とも無縁。
世界最大の堤防と言われた「X堤防」を一目見たいと思い、 三陸鉄道「田老駅」にただ一人下車。
高台の駅からは、復旧の真っ只中の町全体を一望できる。
はるか先に見える住宅高台移転先は大工事中。
この町では海近くの平地に戻る人はなく、土地利用計画は徹底されているように見える。
駅は居住区から離れており、人々の営みは海から遠くにしか見えない。
宮城・岩手・福島いずれとも同様の、
私にとっても「いつもの荒野」を海の方向に歩き始め、
河口部の川と並行した小規模な松林に向かう。
津波でさらに疎林化するも、すでに林床はクロマツとタブノキを混植済み。
浪板海岸も同様の樹種。いずれも試験植栽の模様。
川の水がとてもきれい。遡上したサケの死骸が多数。見かける鳥も、宮城とは違う。
田老町の市民球場のグラウンドは、復興事業用のセメント工場に変わり、
ズタズタになった観客席が残る。
海面高10mの「X堤防」の上に立つ。
今はまだ、Xのどこが破壊されたのか、津波のエネルギーの方向がよくわかる姿で残っている。
有名な「田老観光ホテル」の1・2階の柱の一本一本もここから見える。
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昭和8年の雛祭り未明に900人が亡くなった


電車の時刻まで少し余裕があり、海から1キロほど先の集落へ向かう。
その入り口には大きなお寺があり、入り口にたくさんの石碑が。
「海難殉職者供養」もあるが、多いのは「津波供養塔」。
よく見れば、それに並んで東日本震災の石碑も。
田老町は、明治38年、昭和8年、昭和34年、平成23年の大津波が直撃している。
津波を指す「海嘯(かいしょう)」という言葉は、宮城よりも岩手の言葉だろうか?
震災直後に読んだ、『三陸海岸大津波』(著:吉村昭・新潮文庫)でこれを知った。
2月22日の岩手日報は、「津波供養塔」を1ページ全面を使って特集記事。
「県内の明治昭和チリ地震の津波碑は225基」。宮城84基、青森4基と比べて多い。
私が見たのは、塩竈市の浦戸諸島の「チリ津波慰霊碑」に続いて2つ目です。
「津波碑」について詳しくは
国土交通省東北地方整備局HP
岩手日報HP

岩手県大槌町に行きました

2015年2月25日( カテゴリー: 海岸林あれこれ )

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大槌町浪板海岸の海岸林再生予定地                      (私の目算では、幅20m強×300m前後)


2月21日(土)、「岩手の海岸・森の再生シンポジウム」(主催:国土緑化推進機構)にて事例報告・パネルディスカッションに加わりました。
森林総研の坂本様が「ここで海岸林のことを話すのは難しいな」と言っていた通り、岩手県は山が海に迫り、平地の少ない所です。港町がわずかな平地を占めています。
髙田の松原は岩手の海岸線のなかでも例外で、松原を形成できる場所もなく、宮城南部とは、まったく状況が違います。
パネルディスカッションでは、当然、海岸林ではなく「里山の99%は漁師所有」といわれる
民有林整備が焦点になったと思います。
漁協の方は、多くの支援のお陰でという感謝の言葉を冒頭から口にし、
「森は海中林の素と思っている」と発表しました。
NPO「吉里吉里国」理事長は、「最後の引き波で船は2隻しか残らなかった。
何もかも無くなったが里山は残った。慈善ではなく、林業のプロを目指し、
これで食べてゆく」と話しました。
まとめのところで、マイクが回ってきましたので、
「民間は行政を信じて理解する努力が必要で、行政もボランティア市民の力を、
本気で活かす努力が必要。すべての力を結集する取りまとめを誰かがしなければならない」と発言させていただきました。
「海中林」という言葉を浮かべながら、朝夕の海の幸をいただきました。
シンポジウムには約100名が出席

シンポジウムには約100名が出席

世界を広げくれる人

2015年2月24日( カテゴリー: お助け隊員の声 )

先日、お助け隊員のイラストレーターico.さんのお誘いでミニライブに行ってきました!

ico.san

笑顔のico.san。前回撮影を忘れたので、今回がリベンジ!


会場は彼女の個展が開催されている都内の喫茶店。
ピアノや歌、ダンスや詩の朗読などさまざまなパフォーマンスの飛び出すライブこの日のライブは、普段それらのものに無縁の生活をしている自分には新鮮そのもの。
また集まってきている方も普段自分たちが企画・実施するイベントに参加してくださる方々とはまた違った雰囲気。ico.さんと私たちのチャンネルは違うけれど、同じ目的のために何かをしたいという思いは同じ。いつかico.さんとコラボして彼女の地元名取でも何かイベントをやりたいと思っています。そのためのイメージが全く湧かないのが問題なのですが・・・・・・。
こうして違う世界に足を向かせ、目を向けさせる人がたくさんいてくれることはありがたいこと。ico.さんも自分の世界を広げてくれる人の一人です。
 
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この日のライブをイメージしてico.さんが描いた絵がそのライブ会場に飾られていました!


ico.さんの個展スペースにあったプロフィール

ico.さんの個展スペースにあったプロフィール

2月13日、緑水工業(新潟県長岡市)から汚泥発酵肥料500袋(@15kg)をご寄贈いただきました!!
第1・2育苗場の土壌改良、今春の広葉樹植栽(約300本)などに活用させていただきます。
同社は新潟中越地震でも被災し、「その時全国の人からたくさん支援いただいた」からと、
私どものHPを見つけて直ぐにお問い合わせいただいて1ヵ月。スピード納品に至りました。
当日は、冬だからなのか力を持て余していたメンバーたちの
「まだでーじょうぶだ!まだでーじょうぶだ!」の掛け声の結果肥料を高く積み上げすぎて、
途中半分くらい雪崩のごとく崩れるハプニングもありましたが、無事受入れ完了しました。
ブログ用1その第1報のメールの紹介をご了解いただきました。
《全文》
ある日、環境をキーワードに検索していたところ、御社のHPに「海岸林再生プロジェクト」”クロマツお助け隊”が目に留まり、どのような活動をしているのか拝見しました。
活動の趣旨はすぐに理解でき、我々にも何か協力できないものかと見たところ、植栽に堆肥や肥料が使われていることに気が付きました。よくよく見ていくと、大手肥料メーカーから肥料の寄付の記事、お助け隊による堆肥の散布作業の記事を見つけました。
当社は、事業の一つにコンポスト事業において肥料(堆肥)を生産しております。
下水道汚泥を原料とし、普通肥料としての登録、環境基準の遵守、グリーン購入法特定調達物品「公共工事」の登録製品として、病院植栽工事、小学校外構工事、海岸護岸養浜工事、スポーツ公園芝生管理業務(ゴルフ場含む)等々に採用して頂いております。環境を配慮した肥料であり、特例子会社設立により採用した障がい者が、一生懸命に袋詰めした製品となっています。
当社の肥料でよろしければ、是非、被災地の海岸林再生プロジェクトに使っていただけたらと思っています。もちろん物品寄付としてです。ブログ用3
当社は、新潟県内を拠点に浄水場、下水処理場の運転管理のほか、下水道管路の維持管理を柱に行っており、バイオマス利活用を通じた地域社会との連携、貢献のためにコンポスト化事業も行っています。コンポストセンター敷地内には野菜や花き類の栽培もし、今後は農業参入も考えています。環境に関わる企業として、4回目を迎えた「緑水工業 水環境フォーラム」の開催、地域の小学校へ水の大切さ、循環を教える「出前授業」等のCSR活動なども行っています。
また、地元新聞社”新潟日報環境キャンペーン”「地球の守り人」のメンバーとしてCO2削減の活動にも取組み、地域の緑豊かな森を未来へつなぐ活動である「企業の森づくりアシスタント事業」など緑化保全にも取り組んでいます。

ブログ用2

名取事務所前にて、記念撮影


当社も、中越地震の時には、全国各地から沢山の元気を頂きました。
その恩返しとまではいきませんが、是非、当社の肥料を被災地の海岸林再生に役立てていただけたら幸いです。
詳しい当社紹介はHPをご覧ください。http://www.ryokusui-k.co.jp/
宜しくお願い致します。
緑水工業株式会社

サイレンに思う

2015年2月22日( カテゴリー: 現場レポート )

150124-25 (359)ある日のこと。
仙台市の荒浜地区の植栽現場を視察しているとサイレンが聞こえてきました。
時計を見るとお昼の12時。
私が育った田舎では、お昼や夕方にサイレンが鳴って時間を知らせてくれますから、その時も12時のサイレンだと思いました・・・・・・が、鳴り終ったすぐその後にこれは津波を知らせる緊急放送のテストだとのアナウンスがありました。
聞こえてきたのは背後に見える小学校(の近く?)にあるスピーカーから。
常にテストをしているのか、たまたまその日がテストの日だったのかは分かりませんが、大事なことだと思いました。
ただ、震災当日もアナウンスはあったと聞きます。それでも逃げなかった人、逃げ遅れた人が多かったのは「大津波なんて来るわけがない」という思い込みがあったからだと地元の人たちは言います。
一千年に一度の大津波。次の津波は、今回の震災を記憶にとどめる人がこの世から
いなくなって何百年もたってから襲ってくるのかもしれません。
その時、遠い未来の人たちはアナウンスに従ってちゃんと逃げてくれるでしょうか。
もしかしたら、想像もできないほどの発展を遂げた未来の住人達は、津波がきても
びくともしない頑強な建物に住んでいて、津波なんて何も案ずることはないのかもしれません。
もしそうであっても、ここにかつて大津波が来たこと、人々がそれをどう乗り越えてきたのかを
未来の人たちもみんなが心に留めておけるようきちんと伝えて、残していかなければ・・・・・・。
そんなことを考えさせられたサイレンでした。

ふたご

2015年2月21日( カテゴリー: 現場レポート )

150124-25 (203)植栽現場を歩いていると、さまざまな形のクロマツと出会います。
これはふたごちゃん。
上に伸びた枝の先端が二つに分かれていてそっくりなのです。
上から見ても、ほら。
そっくり。
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離れて見ると、ちょっと頭ばかりが重そうでアンバランスなんですけどね。
78,500本のクロマツたち、実に個性的な成長を見せてくれています。

テトラポット

2015年2月20日( カテゴリー: 現場レポート )

広報室の林です。
プロジェクトの対象エリアの海岸は約5キロ。
現在活動している植栽地は名取市の南側に位置しています。
先日久しぶりに北側まで車を走らせ、様子を見てきました。
現場に来てくださる方をいつもご案内する防潮堤の上で必ず吉田が説明する
「プロジェクトの対象エリアはあの、クレーンが見えるところまでです」の
遠くかすんで見えるクレーンのところです。
(分かる人にしか分からない説明ですみません・・・・・・)
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ここは閖上の港の近く。さまざまな工事が進行していました。
気になったのはたくさんのテトラポットが並んでいるところ。
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ずら~~~~~~~~~~~~っと。
圧巻です。
 
 
 
 
150124-25 (309)
よく見たら、ここでテトラポットを作っていました。考えてみれば当たり前ですよね、こんな重いものを遠くで作ってこんなに大量に運んでくるのは大変ですから。
左がテトラポットの型。右は恐らくコンクリートを固める間、風雨にさらされないようカバーをかけているものと思われます。
(小さい写真で分かりにくいかもしれませんね・・・・・・すみません)
 
 
自然災害というのは本当に大きな損害をもたらすのだとあらためて感じました。
あの日の津波によって、家屋や道路など、私たちの生活に身近で
普段の生活に直結している物だけではなく、
私の思いの及ばない多くの物が壊され、そしてまた私の知らないところで
それらが修復されているのだということを知りました。
資材の調達も大変。人の調達も大変。
大変なのは海岸林再生の現場だけではありません。
復興(という言葉が最適ではないような気がします)や再生に携わる多くの人たちの
努力や存在をこれからもしっかりこの目で見て、発信していきたいと思います。

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