自助自立とは、現地移管とは
10月30日、海岸林を離れ、2005年から関わっている相模原市立広陵小学校(緑区城山町)の
学校林定期整備に顔を出しました。
以前のブログでも書きましたが、
ありがたいことに、もうここでは気楽な身分。でも、年に2・3回は顔を出します。
自宅から車で1時間。今日はノンビリ朝寝した息子を連れて1時間も遅れていきました。
定期整備はPTA行事になっておりますが、いつも通り、親御さん、教員の大半、
地域の元気なオジサンたち、そして子どもたちが、階段の補修や、浮石拾いなど、
教育の場で安心して活用できるよう、自分たちの目で手入れしています。
2005年に立入禁止状態の学校林の整備計画、長期維持保全の計画を一緒に立てて以来、
永いお付き合いの県庁のNさんの姿もあった。鉈でバッサバッサやっている。
3日前に偶然のメールが来て「30日に定期整備あるらしいですよ。行きません?」と
声をかけた。「今は林地開発許認可のデスクワークばかりで~」と参加即決。
昔も今もあの人は変わらない。
ん? 山頂付近から音がする。
「オイスカからアドバイスいただいて国土緑化推進機構の助成金が付いたので
展望台の床板を張り直すんです」と校長先生。
そこでは、やっぱり歴代PTA会長や、N先生、W先生の姿。
元PTA会長Tさんとも10年の付き合い。
同じく元PTA会長Hさんは人工頭。「学校田」でも彼はいつもいる。
本気の床板張りの施工。プロも楽しそうに仕事している。
さすがの親父パワー。
Hさんが「ちょっと一緒に来てほしい」と。
相模原市職員、現PTA会長に、山の現状説明を私からも補足しました。
「市のアダプト制度(アダプト=養子縁組)を活かして、
我々親たちが市の土地を維持保全するという形式をとることになりそうです」とHさん。
お見事! さすがオヤジのやること。
「プロジェクトの自立」「自助努力」「現地移管」。
20年前の駆け出しのころはそこに至る苦労など、わかったふり。
重みは現実のものではありませんでした。
10年を振り返ると、自分が陣頭指揮を執り、熱く関わらねばならない時期もありました。
「それがずっと続いてはいけない」同校学校林保全会議では幾度もこの言葉を繰り返しました。校長先生は3人目、教頭先生は4人目。影となり、付かず離れずの長い年月でした。全体の活動の浮き沈みもあり、消えてなくなりそうになった時期もありました。人の繋がりを維持し、誰よりも経過を押さえつつも、
ある時からは自分が主軸と化さないことが何より重要でした。
小さな学校林、されど…10年がかり。
海岸林再生プロジェクトを背負う今、
私にとって広陵小の学校林は、今後につながる大きな経験です。