オイスカ本部・海外事業部の林です。(前回のブログはこちら)
ここからは1993年に10ヵ月ほど滞在していたミンダナオを訪問した際のお話。
当時の懐かしい写真も一緒にご紹介します。
まずはなぜ私が10ヵ月も滞在していたかについて。
国際協力の道を志していた私は、一刻も早く現場での体験をしたいと考えており、オイスカ開発教育専門学校(現在はオイスカアグリ・カレッジと名称変更されています)の10ヵ月間の海外研修に魅力を感じ、高校卒業後すぐに飛び込みました。私の同級生はほぼみんな高卒でしたが、私の後輩にあたる方々の中には、大学卒業後、あるいは就職して社会経験を積んでから入学してきた人たちも大勢います。
私が専門学生時代、海外研修でお世話になったのが、ミンダナオ島のディポログ市にあるオイスカパマンサラン研修センターでした。
現在の建物
1993年。左の写真と同じ場所
当時、現地で活動を率いていた故池田廣志さんは、日焼けした小柄なおじさんで、出身の福岡の言葉で熱く語り、人をひきつける力の強い人でした。
現地で池田さんにお世話になった日本人は数知れず。もちろん現地の青年も池田さんの下で大勢育ちました。また、そんな池田さんを日本から応援してくださった人たちも大勢いらっしゃいました。
池田さんのお墓にも手を合わせてきました。
同級生(男性ばかり7人!)からは「俺の分もお祈りしてきて!」とメッセージが届いていました。
日本式にお参りをしようとお線香を持って行ったのに、墓地に持っていくのを忘れてしまった!
ということで、フィリピン式にろうそくをともしてお参りしてきました。持参したお線香は、ご家族に託してきました。

今回訪問を決めた際、最初に連絡をしたのは、ディポログ市役所に勤務しているリエルさん、ニンファさんご夫婦。
リエルさんは私がパマンサラン研修センターに滞在時、スタッフとして指導をしてくれたOBです。その奥さんであるニンファさんは、当時マニラにあるオイスカ事務所にいて、マニラ滞在時は何かとサポートしてくれたやさしく楽しいお姉さんでした。
「パマンサランとダピタンとピニアンでプロジェクトがどのようになっているのかを見たい」「できるだけ多くのOBOGの皆さんに会いたい」という私のリクエストにお二人は全力で応えてくれ、事前にOBに会いに行ってプロジェクト視察の調整をしてくれるなど、本当にお世話になりました。お二人のおかげで充実のディポログ訪問となりました! ありがとうございました。
後ろの建物はお二人の勤務先であるディポログ市役所です
出張日記9に続く