2022年6月24日

10年ぶりに富山県支部と富山の海岸防災林を訪ねて②

  • 海岸林再生プロジェクト
  • ECO-DRR
  • 本部スタッフ
  • ①の続き

    今回の再訪は、支部事務局長として、いまの運営の骨格を作ったお一人、北陸電力(株)理事兼新川支店長で、今月末に理事兼資材部長となる荒木さんの強い後押しのお陰です。半年ほど前、わざわざオイスカ本部を訪ねてくださり、「私が支店長のうちに」と結団式をしました。そして今回も多忙を縫って、2018年の大阪マラソンチャリティランナーの水野達夫滑川市長(支部顧問)をはじめ、海岸林再生プロジェクトにも多額のご寄附をいただいてきた大江鐵工㈱の大江敏光社長(支部常任幹事)、社員や奥さまへのお礼の機会を完全アレンジしてくださいました。同社は国家プロジェクトなどにも納入する、特注製品専門の技術力で名高い企業です。

    右から荒木さん、吉田、水野市長、大江社長、林久美子課長
    2016年以来念願の会社訪問、工場見学だけでなく、社長お気に入りの屋上にも上がらせていただきました。
    大江鐵工本社工場(滑川市)

    震災後の2012年12月、支部活動報告会で海岸林再生プロジェクトの発表機会をいただくとともに、北森さんの案内で、のちに林野庁「後世に伝えるべき治山60選」に選ばれることとなる入善町海岸防災林を視察しました。ここは「日本三大 海岸浸食」の地でもあり、ある集落では1世紀で200世帯が移転したそうです。私たちにとっては、今年1月に着手した本数調整伐で、風の強さなどから富山県の「海岸防災林密度管理図」を参考にしています。これを作る労力は1億円と言うぐらい、時間と資金がかかるものなのです。

    10年ぶりの今回は、2日に分けて「入善町海岸防災林」の一番見たかった箇所を、荒木さんのサポートでじっくり見ることが出来ました。40年にわたり事業規模で植栽が続いている現場は、全国レベルで見ても極めて稀なのです。植えたば かりから40歳、昔からあるマツもまとめて見れます。我々にとって教科書のようなもの。

    今年9月23・24日、2016年に続いて2回目の、名取ボランティアツアーを支部で計画しています。その際の参考に、「海岸林おたく」の余計なメモを残しました。 それはさておき、名取の現場と第一迎賓館(という名の私たち海岸林チーム行きつけのお食事処。ここを見出したのは何故か大江社長)への来訪を首を長くしてお待ちしてます。

    入善町海岸防災林 今回の実踏記録①はコチラ

    入善町海岸防災林 今回の実踏記録②はコチラ

    入善町海岸防災林 2013年の清藤城宏元オイスカ緑化技術参事の実踏記録はコチラ

    入善町海岸防災林 2012年の私の実踏記録はコチラ

    戦国武将の佐々成政時代からのECO-DRR、治山治水の宝庫です。カイニョ(屋敷林)や海岸防災林はもちろんですが。念願の富山訪問を前に、毎晩無駄な深掘り予習をしてしまいました。太田猛彦オイスカ顧問からは、「2018年の広島土砂災害 では崩壊土砂が40万㎥、2016年の九州北部豪雨では1,000万㎥。それに対して、1858年の安政飛越地震で生まれた『立山カルデラ』では、4億㎥が山腹崩壊し、うち2億㎥は今も留まっているため、100年続く治山工事が行われている」と聞きました。また、全国で扇状地全体に水田が広がる例はあまりないはずです。扇状地特有の砂質浅耕土の保肥力・保水力不足を乗り越える工夫として、緻密に広がる用水路を駆使した、鉄やマンガンを流す「流水客土法」が行われたそうで す。もっと勉強して個人的に再訪したいと思います。富山は遠くない!と思いな がら、そのまま新幹線で宮城に向かいました。

    有名な東山円筒分水槽(魚津市)
    大正時代に作られて今も現役の片貝川第3発電所(魚津市)
    洞杉群(魚津市)こういうスギ巨木が山奥にたくさんあります
    「立山カルデラ」(立山町)の模型。ここには抽選に当たらないと
    行けません。でもいつか必ず。

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