いろいろな海岸林を見てきましたが、案外「展望台」があるものです。誰にでも来てもらえるのでいいですね。津波シェルターの役目と観光施設、研究者のためにもなりますね。
その1
タイ南部マレー半島西側ラノーン県、オイスカマングローブ植林地
(2000年~現在、植栽面積約1,100ha。沿岸資源環境省等と協働)
インド洋大津波もこのマングローブで食い止めました。私は2007年にここに行きましたが、津波で大量の砂の流入があり、漁獲高は30分の一に激減と住民から聞きました。出稼ぎに出る人が増えてしまう中、マングローブの保全事業により、半漁半林の雇用を創出しました。村人は襟裳岬と同様、豊かな海のために、将来の村のために、収入を得ながら主体的に森づくりを行っています。昨年、政府のモデルプロジェクトに認定。多くの企業団体、国内オイスカ会員からなる各支部の支援を得て実施してきました。
その2
千葉県九十九里浜、山武市「蓮沼海浜の森」
ここにも東日本大震災の津波は到達し、海岸林に大きな被害を与えました。ですが、後背地は大きな被害を免れたものと思います。ここは楽しい海岸林でした。公共の遊園地があり、親子連れがたくさん。駐車も無料。森の中には管理道を兼ねた歩道が縦横に。海への道もS字状に曲がっており、津波が真っ直ぐ進入するのを防ぐ計算をしたのだと思います。展望台の避難者収容人数は、相当な数に対応できる設計に見えました。全体像は愛情をこめて、様々考えて作られた気がしました。
その3
宮城県名取市・閖上浜サイクルスポーツセンター
名取市海岸林の最北部、閖上漁港前にあり、市内海岸林をほぼ半周する広大なサイクリングロードの起点だったそうです。ガラス片などが散乱し、半壊の建物でしたが、高所から全貌を見渡すためにも、オイスカの中野会長や、林野庁「東日本大震災に係る海岸防災林の再生に関する検討会」座長の太田猛彦先生をはじめ、多くの方をご案内しました。ここで難を逃れたという話は具体的には耳に入っていませんが、そうであっても不思議でない立地にあります。いつか、このような施設が復活するのだと思います。
【動画】必見!NHK「プロジェクトX」(45分)
2003年、襟裳岬の海岸林造成の長い歴史がNHK「プロジェクトX」で紹介されました。
ご覧になった方もいることでしょう。私も見ました。
プロジェクトX 挑戦者たち
「えりも岬に春を呼べ北の家族、奇跡に挑んだ半世紀」砂漠を森に変えた
http://www.pideo.net/video/pandora/520e4fa67f3f2d8d/ (45分)
事業開始は、ちょうど60年前!!の昭和28年(1953年)。結果的に20年は本格的な植栽ができなかった。まず、草で地表を覆い(草本緑化)、20年かけてようやく本格的な植栽(木本緑化)ができるようになったという驚きの歴史です。
「えりも砂漠」になる以前の元々の木々は、カシワ、ミズナラ、ハルニレなどだったそうです。
クロマツ以外に試験した樹種は、カラマツ、トドマツ、アカエゾマツ、カシワ、ヤチダモ、ヤマハンノキ、ポプラ、青島トゲナシニセアカシア、ニセアカシア、ニオイヒバ、ヤナギ、アキグミ、イタチハギ、ネグンドカエデ、イタヤカエデ、ダケカンバ、シラカンバ、ドロノキ。60年たった今では、クロマツで守る形で広葉樹の導入を進め、針広混交林を現実の目標とするに至っています。
ちなみに、「牧草」というナレーションがありますが、オーチャードグラス、ケンタッキー、クローバー、チモシーだそうです。
植えたい人は注目して動画をご覧ください!
番組内で一瞬、植栽作業の白黒の動画が出てきます。我々もこれから同じですが、植栽時期は極めて限定的で一日に多くを植えねばなりません。
迷いなど無い、あの鍬さばき。おそらく、一日500本から、人によっては700本ぐらい植えたのではないでしょうか?
また、昔は杭打ちも人力です。今ではユンボですが。どう考えても真似できませんね。
襟裳岬は「風極の地」と看板に書かれていました。
風速10mを超える日が年250日以上、風速20mは40日以上。ちなみに濃霧発生日数も年100日以上あるそうです。
森進一さんの「襟裳岬」の曲がエンドレスで流れるお土産屋に寄った後、すぐ横の観光施設「風の館」に立ち寄ると、日本の「颪」(おろし)一覧が紹介されていました。
そこには、当ブログでいつも紹介してきた「蔵王おろし」や、静岡の遠州灘約100kmの海岸林造成にも長年大きな試練を与えた「遠州の空っ風」と呼ばれる強烈な西風は出ていませんでしたが、中央に山脈を持つ日本には実に様々な、その地域特有の風があるんですね。
この地の強風パターンは2つあります。
■北東風
「日高山脈西麓に大きな風害をもたらす《日高しも風》。
北東からのフェーン型強風で4~9月に顕著」
■北西風
「秋~春に吹く冷涼湿潤な西からの強風。局地的に暴風雪をもたらす。
春先には十勝管内一帯に北西風のフェーン現象を起こす」
海からの風(北東風)、山からの風(北西風)の両方への対処を、
長期的に考えねばならない点で、宮城南部と極似していると思います。
「颪」。こう書くんですねー。漢字があるとも知らず。
私は関東平野の端の方で育ちました。
相模「原」ですから、「赤城おろし」には及びませんが、それなりの風は吹いていました。
高校生の時は片道9kmですが、遮るものがない畑ばかりの道を、
向かい風と、関東ローム層の赤茶けた細かい砂塵のなか、自転車通学するのが日常でした。
中学からソフトテニスをやっていました。
「風を利する」かどうかが、勝負の分かれ目だったことは多いです。
試合前も最中も、無意識に風を計算しました。
高校3年生の時、海の近くのコートでの関東大会県予選で、初戦負けしたことがありました。
当時は浜の暴風を恨みました。
マネージャーは負け審判をしているところを写真に撮ってくれました。
猫背になった情けない姿の写真でしたが、その後も大事にしてきました。
大学では九十九里の海岸林の内陸、白子町のコートで数十回試合をしましたが、
風は一日の中、試合の中だけでこんなに向きが変わるのかと思ったものです。
林業会社では「風は10時から」とよく話題になりました。
数年かけて取り組んでいた施業地近くに風巻山という山があり、
名前の通りの山ですから気流が複雑で、昔の事故の話も口伝されていました。
「五感で仕事しろ」と、危険予知を含めて、社長から叱咤される日々でした。
最近は、どこかで誰かが「人生は少々の向い風が丁度イイ」と言っているのを聞いた気がします。
名取では向かい風だけでなく、背後からも強烈な蔵王降ろしが吹いて来て、寒風害をもたらします。
これまで様々教わったこと、感じたことは、きっと今後に活かせるのだと思います。
襟裳岬視察では、風と向き合い、受け止め続けた現場を見ることができ、今後がますます楽しみになってきました。
北海道・襟裳岬海岸林にて
昨日ご紹介した写真は、先々週視察してきた北海道・襟裳岬海岸林のもの。
1年以上前に「学校林・遊々の森」全国こどもサミットin北海道の開催が決まり、「その帰路に、襟裳岬国有林は必ず見て帰る!」と思い続けていました。想像をはるかに超える過酷な環境の中で、海岸林造成ノウハウを一から積み上げてきた当地には、多くの示唆をいただけると信じていました。
①治山技術(海岸林造成技術)の変遷。特に近年の状況
②「えりも岬のみどりを守る会」の運営 (すなわち、地元住民や関係組織がどのように長期的に関わっているか)
③昭和28年からの全てに関わった地元の漁師の方々へのヒアリング
これは捨てがたかったですが、上記①②だけでも精一杯。
将来きっとご縁があると思って、今回は見送りました。
この視察の実現にご理解をいただいた北海道森林管理局、
我々の全ての質問に120%答えて下さった日高南部森林管理署・えりも治山事業所、
えりも町、ひだか南森林組合の皆さま。
オイスカ本部事務所の一部の引っ越しの最中にもかかわらず長逗留を認めてくれた
我が職場にも、心から感謝しております。
現場に関わる方は、まさに本物の方たちと感じました。
この写真、見てください!
ある海岸林を視察してきました。
その際にいただいた資料などにある約60年前の写真です。
“沙漠”と呼ばれたこの地域での困難を極めた緑化は、本格的に植栽が軌道に乗るのに20年を要し、事業着手から60年たった今も海岸林造成が継続されています。
我々にとって、目標にすべき存在に違いありません。技術はもちろん、特に、「人と森」との長い関わりという点で。
住民の関わり度合いは驚くばかり。関係団体の連携は見事という以外ありません。国有林は地域に雇用を生み出しています。
明日からのブログで視察で学んできたことをご紹介したいと思います。
各方面に対して存分にフィードバックするのが、視察した者の務めだと思っております。
クロマツ苗と浅田真央さん
北海道の出張の前半は、7回目の「学校林・遊々の森」全国こどもサミット。
全国から学校林や、国有林を活用した学校教育の制度「遊々の森」で
森に親しむ子どもたちと一緒でした。
「学校林・遊々の森」全国こどもサミットin北海道
http://www.rinya.maff.go.jp/hokkaido/sidou/kodomo/
毎年、目を見張るような発表に出会います。
「子どもって凄い!」と感動します。
子どもらしい子どもに、今年も会うことができました。
全国の海沿いの学校では、「海岸林が学校林」という学校もあります。
シンパシーを感じます。福井県のあわら市立波松小学校では、
北潟国有林(約40ha)を活用した学校教育が行われており、
育苗から植栽、育林を行い、総合学習のみならず、各教科でも森が活用されています。
そういう学校もたくさんあるんですよ。
マラソン大会をやるとか、体育の授業でクロスカントリーをやるとか、
地元の素材を活用した羨ましいばかりの学校です。
波松小学校はクロマツの育苗もやっています。僕らと同じマツの苗を日々観察しているのですが・・・・・・子どもの感性って素晴らしいですね。
代表の女の子たちはクロマツの苗を見て何に例えているか?
「浅田真央さんがスピンしているようです」と。
名取市海岸林再生の会のTさんが、たくさんのクロマツの苗を「被災地の皆がバンザイしているようだ」と言ったことを思い出しました。
受け売りでない、自分なりの表現を堂々と言えるって素晴らしいですね。
その感性や、心の豊かさに感嘆しました。
名取の海岸林再生においても、いつか学校教育と結び付けたいと思いますが、今はまだ、それができる段階に双方が至っていないと思っています。物事には順序があると。口当たりの良い「協力」を語るわけにはいきません。ですが、地元の子どもたちに「本物の参画」をしてもらうのは、名取市海岸林再生の会、オイスカ関係者一同の共通の目標です。そのためにやっているともいえます。
名取でもいつか、海岸林再生を通じて、子どもたちの豊かな感性の一端を垣間見て感動する日が来ると思います。いつの日か必ず。
9月の3連休初日の21日(土)、ぜひ育苗場に!
久々、ブログのお休みをいただきました。
北海道に1週間出張してきました。
海岸林再生プロジェクトの将来ために、
Pricelessな財産を得ることができました。
HPトップに既に記載している通り、9月21日(土)終日、 第一育苗場にて草取りボランティアを募集しています。
http://www.oisca.org/kaiganrin/1263
たまらないほど残暑厳しい中ですが、名取市海岸林再生の会の農家の方たちと、 休み休み、おしゃべりしながら、来年わが手で植えるかもしれないクロマツを愛でつつ、口も手も動かしながら、草、抜いていただけませんか?
もし、年に一度しか宮城に来れないとすれば、こういう草取りこそ、 地元の方や、裏方と、言葉を交わす時間がたくさんあると思います。
遠方から来る人もいるでしょう。
一同、「一期一会」のつもりでお待ちしております。
でも、育苗場での草取りは2020年までずっと続きますから、
どうぞご無理なく。
ちなみに私は草取りがなぜか好きです。
子どもの頃から、少年野球でも、大学までのソフトテニス部でも
チーム運営に草取りはつきものでした。ちゃんとしないと後が大変でしたから。
今は本当に時々、育苗場で地元の方に混ざらせていただくのですが、
この時は、ただ一心になれるんです。
でも、こういう作業に来て下さる人がいるのなら、
我々にとって本当に嬉しいのです。
お盆休み関係なく働いている方もたくさんいらっしゃると思いますが、
今週、しばらくこのブログはお盆休みとさせていただきます。
ブログが更新されなくてさびしいという方がいらっしゃいましたら、今月号の月刊「OISCA」(8-9月合併号/年次報告書)に掲載している「海岸林再生プロジェクト」の特集記事をじっくりご覧いただければと思います。
束の間のお盆休み後は、担当の吉田が北海道で見聞きしてきた海岸林再生の取り組みなど、じっくり報告いたします。
■宮城県/匿名
「海岸林再生プロジェクト」に思う
・4月19日にクロマツ苗の移植作業に参加させていただきました。OISCAの広報を通してこの2年間、名取の海岸にクロマツ林を再興する作業がその初発から多くの苦労と困難を伴うものであったことを存じてはおりましたが、現地で詳細にその経緯を伺い、実際に作業の一端に関わる体験をさせていただいたことは、震災復興の進捗状況を身をもって認識する貴重な機会となりました。同時にこの地で仙台藩政の初期から4 世紀にわたり受け継がれてきた先人の植林の営みに思いを馳せることにもなり、わずか1日ではありましたが、ほんとうに得難い体験でした。
・OISCAの進める海岸林再生プロジェクトは失われたクロマツ林の再興と同時に名取の被災農家の暮らしの再建を支援する取組みでもあることは、地元新聞でも何度か報道されています。ただし、一般的にはいまだ他の被災自治体で進行する植林事業と変わらない認識でとらえられていることは否 めません。そうした点で、可能であれば、作業に従事する農家のみなさんの暮らしぶり、その変化の有無などを伝えていただく機会がさらに充実すればと期待いたします。
・当日おいでになったOISCAの若いスタッフのみなさんからは、海外でのボランティアの体験や、日本の政治や文化の現状に並々ならぬ思いを抱いていることなど伺い、強く印象に残りました。OISCAの 立ち上げた活動が名取の地で世代や国を超えて多くの人々の出会いと交流をもたらしていることも意義のあることでしょう。こうして築かれた交流関係が名取市の今後の街づくり、市政運営を活性化させる、なにがしの仕掛けとなることに期待を寄せるものです。