1月21日、宮城県議会・環境生活農林水産委員会で、「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」という新しい制度が承認されました。海岸の県有林、市町村林、共有林、民有林に対し、民間の活力を導入する根拠となる制度です。(国有の海岸林は別制度「『みどりのきずな』再生プロジェクト」として、従来の国の制度「社会貢献の森」を適用し、別協定となります)
そして、2月4日、宮城県は四者協定を決済し、2月13日、晴れて「協定締結」となりました。名取市内の県有・市有の海岸林89.98ha。名称は「名取市民の森」。契約期間はまず5年。
海岸林の多くは、明確な目的を持って存在するため、大半が「保安林」に指定されています。しかも、県有林は管理が厳密で、安定感のある技術が必要となります。その上、宮城南部の気象条件は相当厳しいことはプロであればわかります。民間団体が、このような条件下で、植栽など一からの抜本的な再生、かつ、大面積施業の協働に加わった極めて稀な大型協定と自負しています。大規模な被害に対し、関係者一同、ダイナミックなアプローチと、スピード感を持って臨んできたつもりです。
調印式は事務的に行うのでなく、明日の定期活動報告会in名取市文化会館で、市民や支援者の前で、ご披露したいと考えました。結婚式のようなものに思えます。
2011年5月24日の初協議以来、我々を信じて、不退転の姿勢を貫いていただいた行政当局、全国からご支援をいただいた皆さまに深く感謝しております。
いろいろなことが頭をよぎりました。
遺体安置の業務を手伝いつつも、即行動してくださった市の職員、種苗講習会開催の願いを聞いてくださった県の職員、当初から常にご一緒いただいた森林組合の方、ともに歩もうと即断いただいた種苗組合長、修了証をいただいた時、県技術センターの部長さんに「頼りにしています」と握手して頂いたこと、再生の会定期総会での、県職員の方のご挨拶。「オイスカさんは大丈夫」「我々はオイスカがやってくれると信じている」と常に声をかけてくださった当局の方。あまたのプレッシャーを共にしてくれたわが社の職員。プレスリリースもしていないのに信じて寄付をいただいた大企業。ご支援いただいている何千人もの方から声をかけていただき、どんなに我々の力になったことか。
2月4日、北へ向かう新幹線の中で、県森林整備課のSさんから「決済」のお電話をいただいた時と、震災前から学校林の仕事をしてきた元森林組合のSさんに「締結」を伝えた電話で、「長かったねー」と言われた時だけは、嬉し涙がにじみました。
信じていただいている皆様のために、誠心誠意務め、初心を貫き、必ずプロジェクトを成功させてみせます。

喉がつぶれた

2014年2月20日( カテゴリー: 本部発 )

宮城県の新制度「みやぎ海岸林再生みんなの森林づくり活動」の先陣を切り、
2月13日付で宮城県、名取市、名取市海岸林再生の会、オイスカとの四者協定が締結されました。
対象は、名取市内の県有林、市有林等、89.98ha。まずは5年契約。間違いなく大型契約だと思います。
私どもを見込んで託して頂いたわけだから、それに応えなければならない。
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2月13日午後、私は支部の小野事務局長とともに、カメイ㈱にてボランティア保険の打ち合わせ、
仙台市財政局に「仙台市民税の寄付控除」申請、東北電力「電力ホール」での写真展開催説明会に行ったあと、
県庁に四者捺印済みの協定書を受け取り行けることになりました。
そのため、名取市海岸林再生の会拡大役員会へのオブザーバー出席は取りやめ、
夜の部から合流。頂いたばかりの協定書を、真っ先に再生の会に見せることが出来ました。
いつも通り、当局職員の皆さんの迅速な対応と、ご配慮のおかげです。
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皆でしばらくは、これまで3年を、しみじみ振り返りました。
やっぱり、震災直後の我々の出会い(5月24日)の頃と、初めての播種までの話が多かったですね。
地元からすれば、「オイスカって何スカ?」という頃です。
再生の会の方たちも、葛藤があったと思います。
心配もされ、冷やかしも、やっかみもあったという話も出ました。
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でも我々は我々。すぐにボルテージがあがり、全くいつもの通りに。
まあ騒がしいこと。「何で皆こんなにでかい声で話すんだ??」
名取駅にも最終電車があるというのを、完全に忘れてしまいました。
僕もでっかい声で話していたのは覚えてますが、
僕も翌朝は声が出ませんでした。他の皆さんも、次の日はガラガラ声。

雪の中、2時間歩いて帰宅。

雪の中、2時間歩いて帰宅。

その名取から18時発で帰京。
2週連続の週末の大雪。
国立駅で電車は1時間以上立往生。
西武新宿線を大迂回して、帰宅したのは午前2時。
我ながら相変わらずご苦労なことで。

歴史を遡って

2014年2月19日( カテゴリー: 本部発 )

国際協力ボランティアの小礒です。
先日、NHKの取材に同行する形で初の名取入りを果たしました。
「伊達政宗の治世」をテーマにした番組の取材の中で歴史的な観点から海岸林を見つめることができました。伊達政宗と言えば武人としての印象が強い人物ですが、日本語教育に携わって来た身としては歌人としての政宗公が想起されます。
仙台開府の頃にこんな歌が詠まれています。
「入りそめて 国豊かなる みぎりとや 千代(ちよ)とかぎらじ 仙台の松」
教室ではないので解説は割愛しますが、要約すると「私が入府することで国を豊かにする魁(さきがけ)となりたい。千代(千年の世の中)と言わず、年中色濃く緑豊かな松のように、万年へと続く無窮の栄えとなって欲しい。」というものです。
未来へと続く繁栄を緑失うことのない松に譬えるあたりが、永きより松と共にあり、海岸林造成に携わった政宗公の「愛林」の想いを伝えているような気がして感慨深く感じます。
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受け継がれていく「愛林」の想いと共に海岸林の再生が順調に進んで行くことを切に願うばかりの出張となりました。
 

国際協力ボランティアの木村です。
いよいよ、今週、2月22日(土)に海岸林再生プロジェクト「第1回定期活動報告会」が行われます。私はこの2か月間、参加者の取りまとめ、報告会の全体的なストーリー作り、配布資料の準備、依頼状等の文書作成など事務的な作業をしてきました。
私の業務内容だけを綴りましたが、この報告会は多くの方の想いが詰められています。特に3年かけてようやく締結した名取市と宮城県との協定について詳しく、説明が行われます。ステージにはいろんな人が立ち、話をされます。その人たちの想いを感じてほしい報告会です。
第1回定期活動報告会:http://www.oisca.org/kaiganrin/1600

皆さん、お待ちしております

皆さん、お待ちしております

伊達正宗公に想いを馳せた一日

2014年2月17日( カテゴリー: 現場レポート )

今日は写真をたくさん。

鈴木会長は地元の歴史とマツとの関わりを中心に取材を受けました。

鈴木会長は地元の歴史とマツとの
関わりを中心に取材を受けました


NHK「Eテレビ」の歴史番組「知恵泉」のディレクター酒井さんの取材を受けました。宮城で3年仕事を共にしてきた方が、我々をご紹介くださったようです。
「伊達政宗の治世」をテーマにした番組で、4月1日・8日(23時~23:30、前・後編)の仙台南部の海岸林も取り上げられます。
わたしは武人としてより、治世家の政宗公に興味があります。当時の海岸林造成はもっと苦労したと思います。全くすべて人力ですから。昔やってきた ことを現代の我々が引き継げること、何と光栄なことか。あっという間の一日でした。

仙台セリ」のセリ田。名取市は良い地下水に恵まれているため、たくさんのセリ田があります。冬でも水に腰まで浸かって仕事をするんで すよ。JRの南仙台~名取駅間の両側から見ることが出来ます余談ですが、「仙台セリ」のセリ田を通りがかりました。名取市は良い地下水に恵まれているため、たくさんのセリ田があります。冬でも水に腰まで浸かって仕事をするんで すよ。JRの南仙台~名取駅間の両側から見ることが出来ます。
 
 
 
 
 
海沿いには同じく政宗公の命で造られ、地元から愛され続けた「貞山堀」。江戸時代を通じて延伸され、物流を担う日本一の運河となりました。

海沿いには同じく政宗公の命で造られ、地元から愛され続けた「貞山堀」。江戸時代を通じて
延伸され、物流を担う日本一の運河となりました。


伊達政宗公の命を受け、1600年から宮城南部でクロマツ植栽が始まりました

伊達政宗公の命を受け、1600年から
宮城南部でクロマツ植栽が始まりました


 
 
 
 
 
 
 
ご兄弟そろって歴史にめっぽう詳しい佐々木統括も、電話取材に続き、本領発揮。好物のラーメン(大盛)をすすりながら 「今度、とことん話そう!10年先までよろしく!」と酒井さんに言っているところ

ご兄弟そろって歴史にめっぽう詳しい佐々木統括も、電話取材に続き、本領発揮。好物のラーメン(大盛)をすすりながら「今度、とことん話そう!10年先までよろしく!」と酒井さんに言っているところ


愛林碑。「なんで愛林という名前の石碑を立てたのか」と、3人で思いを馳せ、話し合いました。向こう側は名取市海岸林北部。植栽基盤造 成工事が始まりました。

愛林碑。「なんで愛林という名前の石碑を立てたのか」と、3人で思いを馳せ、話し合いました。向こう側は名取市海岸林北部。植栽基盤造 成工事が始まりました。


 
 
 
 
 
 
 
 
防潮堤上より、名取市南端より、霞んで見えませんが、5km先の北端(写真中央のやや右)を望む。私たちが託された場所です。

防潮堤上より、名取市南端より、霞んで見えませんが、5km先の北端(写真中央のやや右)を望む。私たちが託された場所です


名取市海岸林再生の会 鈴木英二会長のご自宅。 ご本人は「震災を伝えるものとして、何とか残したい」とお考えです

名取市海岸林再生の会 鈴木英二会長のご自宅。
ご本人は「震災を伝えるものとして、何とか残したい」とお考えです


 
 
 
 
 
 
 
 
「愛林」と言えば、もちろんこの人たち。石碑には、この方たちのおじいさんたちのの名前が

「愛林」と言えば、もちろんこの人たち。石碑には、この方たちのおじいさんたちのの名前が


 
 

お伝えしたかった御礼

2014年2月14日( カテゴリー: 本部発 )

先週、私どもの理事長とともに皆川芳嗣農林水産事務次官に面会の機会をいただきました。
海岸林をはじめとする国内森林環境保全や、木づかい運動への参画、海外での農業を軸とする開発協力、森林環境保全、沖縄での大規模な農業技能実習生の受け入れ、30年来の森林再生を手がけてきたフィリピンでの台風被害調査報告、マングローブの効果など、どういう話題でも裏付けが出せるようと準備をして臨みました。
皆川次官は、東日本大震災発生当時の林野庁長官で、2011年3月17日付の私ども発信文書、「海岸林再生に関する協力の申し出」を受け取っていただいた忘れ得ぬ方です。
「順調のようですね」と、次官からすぐに海岸林の話が始まりました。林野庁関係者が事前にレクチャーをして下さったのでしょう。林野庁長官時代に何度もお目にかかってきたので、名刺をお渡しするタイミングを失ってしまいました。
「オイスカさんは、育苗によく気付きましたね」身に余る評価が続き、少々茫然としましたが、①育苗事業への参画、②被災地農家の雇用、③スピードとスケール、④現場経験と専門性、私の記憶ではこの辺りを評価して下さったように思いました。

2011年4月4日 皆川事務次官と面会

2011年4月4日
皆川事務次官と面会


震災から3年。名取市内国有林に関する協定は、もう間もなくと思いますが、申し出をさせていただいて以来、多くの職員の方々と日常の協働をさせていただいていることへの心からのお礼と、被災地住民や全国の支援者と接する中での、現場の肌感覚も十分お伝えできました。
初めてお目にかかったのが、2011年4月4日。民間活力の活用についてお話申し上げ、その場で、7月上旬の海岸林再生シンポジウム開催に賛成して下さり、当日は、最初から最後までご出席いただいたこともあり、シンポジウムはその後の活動にとって、非常に重要な「布石」とすることが出来ました。今振り返っても、過酷な業務でしたが、あのタイミングで開催を決断し、実行できたからこそ、今があるとも思います。
2011年に行われた 「海岸林再生シンポジウム」

2011年に行われた
「海岸林再生シンポジウム」

広報なとり

2014年2月13日( カテゴリー: 本部発 )
kohonatori少しお伝えするのが遅くなってしまいましたが、
広報「なとり」に2月22日(土)の第1回定期活動報告会
in名取市文化会館が掲載され、名取市全世帯に配布されました。
1ページ全て使って告知いただいたことを、非常に嬉しく思います。
記事はこちら→→→→PDF
市の広報を、我々オジサン世代がどれ程読んでいるのか?
先日、私の自宅近所の少年野球大好きオヤジ10人に聞いてみました。
結論。
誰も読んでいない。。。
「亭主元気で留守がいい」を地で行く、あの人たちが読むわけないか。
でも、大事に読んでいる人がたくさんいるのは事実ですよね。
やっぱりこれを見た名取市民の方から多数お申込みをいただいています。
晴れ舞台、うまく仕事できるだろうか。。。
腹をくくって頑張ります。

ボランティア募集開始

2014年2月12日( カテゴリー: 本部発 )

ボランティア募集に関して、海岸林HPで公募開始しました。
→→→ボランティア活動計画
平成25年度の視察・ボランティア育苗場来訪は
最終的に1,000人程度になる見通しです。
来年度は2,000人近くになるでしょう。
平成25年度の雇用は1,000人工に迫る見通しで、来年度は1,100人を超えるかと。

2月22日の定期活動報告会が終わったら、春の現場の準備が一気に加速します。
来訪者もボランティアの方も増えるでしょう。
北海道えりも町役場の方たちにノウハウ提供いただいた素材を参考に、
植樹祭(仮称)の準備にもかからねばなりません。
(まだ公募できる段階にありません。まだまだ先になる見込みです)
しかしそれも大事ですが、まず4月第一週には、
事務所半分を2階建てにする調整に入りました。
現場の佐々木統括を補佐するため、私は3月第4週~6月末まで、
生活の軸を宮城に移すことになると思います。
週末など帰れるときに、東京の本部事務所と自宅に。

サクラの開花予想が、仙台は4月20日頃と発表されましたね。
その頃は「床替移植」です。

昨年の床替え移植

昨年の床替え移植


来年度はまだ露地栽培の2年生クロマツも多いですが、
コンテナ栽培が増えてきます。コンテナは床替が必要ありません。
土は培養土です。コンテナが増えると育苗場の「除草」は減ってゆきます。
床替も除草も体験するなら今のうちに。
「クロマツ暦」という基本はありますが、
時間とともに作業内容は毎年変わってゆきます。
来年度も大勢の方と接する年になるでしょう。
河北新報社の記者さんのアドバイス通り、
「一期一会」という気持ちでいられるようにしなければ。
7月26日、ニコングループ社員の手で草取り

雨の日に草取りボランティアに
来てくださったニコングループ
社員の皆さん

2月8・9日の大雪

2014年2月11日( カテゴリー: 本部発 )
2月8日・9日は大雪でしたね。
電車遅延、運休、回復の見込みなしと、予想とおりの状況でしたが、
雪見を楽しんでいました。
東京で自宅近くのビニールハウスがつぶれているのを見て、名取事務所は、12日までお休みのため、
第一育苗場の大友班長に電話して、名取の状況を聞いてみました。
「仙台で40cmとか言ってたけど、こっちはそうでもないね。35cmぐらいだね。記録的っていうけど、
15,6年前に腰までつかる雪が降ったのから比べればねー。今回の雪は、3月の湿った雪と違うから
軽かったね。ハウスとハウスの間に隙間を風を計算してちゃんと設けてるし、近所でもつぶれたなんて話は
まだ聞いてないね。育苗場はまだ見てないけど、大丈夫でしょ。しっかりした骨組みだし。」
(電話の向こうに奥さんの声)
安心しました。佐々木統括もハウスを気にはしてると思いますが、何ともないと判断しているのでしょう。
10日に宮城県支部事務局長の小野さんとも電話しましたが、通勤が大変だった模様。
苗は雪に埋もれても全く平気です。
雪折れもありません。
今年はまだまだ降るんでしょうね。
2月22日の報告会・23日の視察バスツアーは雪でも決行します。

*確認したところ、育苗場駐車場に車を入れられず、雪かきしてから車を止めたとのこと。

久々の納屋

2014年2月10日( カテゴリー: 本部発 )

震災以来3年。
節目となる大きな良き出来事があり、
夜、第1育苗場班長夫妻を訪ね報告しました。
地元を束ねる自治会長でもあり、仕方なく2期目も続けるようです。
母屋は津波で流され、本人いわく「納屋」の2階に今もお住まいです。
納屋と言っても住むには十分。ですが、確かに納屋は納屋です。
「絆なんて、そんなもんはない」
開口一番、夫妻ともども、声をそろえて。
ちょっと、ドキッとしました。
僕が来るまで、二人で何か話していたんでしょう。
それからはゆっくり世間話。お題目は40品目ぐらい。
TTPから、第2育苗場のTさん達との小学校同期会20年続く温泉旅行での、
男らしさ丸出し(馬鹿さ加減的に)の暴露話まで。
自分たちと違う世代と話したくって仕方ないんだと思います。
子どもさんたちは、すでに社会人となり忙しく、
孫と話したくても事情が許さず。
話を聞いてくれる人、話し相手になってくれる人が
欲しいんだと思います。
時折、私自身の事を聞かれます。親をどう思うか、地域社会とどう関わっているかなど。
違う世代と話す機会が少ないのは、被災地に限った話ではないですね。
はじめは「おなかが痛い」とちょっと弱ている様子でしたが、
徐々にそうでもなくなり、気が付いたら23時になろうかと。
3時間世間話をした後は、奥さんから「治ったんじゃないの?」と。
ところで、「絆がない」とは家族の絆のこと。
身につまされます。親としては、時には子どもに一言苦言を言いたくもなりますね。
3年がかりのこの仕事を、3人でいろいろと振り返り、
吉報をしみじみと、喜んでくれました。
農業はいよいよ本格モード。この春もお互い忙しい。
今晩はお互い休肝日。「とんちゃん」もなし。
お茶をゆっくり、何杯もいただきました。

少し雪をかぶっています


 
 

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