心強い支援者 (株)髙島屋
1997年からオイスカ法人会員として活動全般をご支援いただいている「髙島屋」さん。バブル崩壊直後の1994年、私はの新人一年目に同社の担当になりました。仕事もできないのに年に数度、「近況報告」としてどの企業も訪問し続けていました。1995年にお呼びがかかり、退会の申し入れを告げられました。ですが、何とか半年、訪問のチャンスをいただくうち、再度お呼びがかかり、松任谷由美さんデザインで当時「エコバック」として全く先駆けなのに、「販売益全額を「子供の森」計画に寄附したい。予定額は数百万円」(結果的に600万円強)というお話でした。加えて会員も継続。
その後も、大阪店110周年記念に、①従業員食堂の1メニュー売上分、②屋上での社員によるバザー、③子ども向け「ガチャガチャ」販売益による「子供の森」計画寄附。最近ではフィリピン台風緊急支援もいただきました。
今も昔も、幾人もの方にお世話になっていますが、繁忙期やキャンペーン時期、催事への応援に出られることがとっても多く、消費動向に敏感なCSR室に見えます。
そして今はカタログギフト「ローズセレクション」。
価格別になっていますが、海岸林をはじめ6団体の活動に寄附できます。
2011年秋には支援を決めて下さり、翌年春のカタログ切り替えのタイミングからスタート。
海岸林支援を「ご購入」(=寄附)いただいた方のうち希望者に、お礼状をお送りしております。
毎月金額もわかるので、私にも社会の動向を感じる素材です
(西友さんのレジ募金もまた別角度の定点観測材料になっています)。
また、4万人もの従業員への広報啓発として社内報にも大きく取り上げてくださいました。
1997年以来、本業を活かした資金支援、広報啓発協力を私に教えていただきました。
おととい、まさに美人で、お客さんと向き合う前線が似合う室長に電話して、
ちょっとしたご依頼をしました。「今日、夕方までに送るからねー」。
毎日飛び回っていることは長年のお付き合いから百も承知。
ご依頼にも早々に回答いただき、追加の支援検討のお話もいただきました。
震災から3年もたっているのに、ありがたいことです。
ずっと、心をこめてご支援いただいている宮城の現場で、
例え一度でもいいから、ご一緒したいと思っています。
強く思ったことは必ず実現するものですよね。
広報室の林です。
本部事務所の裏口にこんなものが!
トレーニングをしているのは、プロジェクト担当の吉田。
今春はじまる植栽や各種作業に向けて
なまった体を鍛えようと、休憩のたびにトレーニングをしているのだとか。
吉田は4月からしばらく名取に駐在します。
2012年春は播種
↓
2013年春は播種+床替え(移植)
↓
今春からは播種+床替え+山出し(出荷)+植栽
と作業量が一気に増えるためです。
4月からは第3土曜日にボランティアを受け入れます。
(ボランティア受け入れ計画はこちら)
ぜひ皆さん、ご参加ください!
数字でわかる「名取市東部の農業復旧状況」
JA名取岩沼さんにご理解いただき、
名取市東部の畑作共販実績を抜粋してお伝えします。
震災前と現在を比較しました。
――震災前と比べて、収入はどのぐらい回復しましたか?」
「50%弱だな。50%にはギリギリ届かない」
震災直後から復活を期して立ち直る努力をし、
年に6回小松菜を出荷しても、毎年ビニールハウスを10棟づつ増築しても…
表の右下の数字は、チーム海岸林十八番の「クイズ」出題の可能性が高いです。
――(最も海寄りに農地を持っていた)北釜地区300人の農業従事者のうち、何人が本格的に農業を再開していますか?
「20人ぐらいだっちゃ」
――前に30人ぐらいと言っていましたよね?
「んー、20人だ」
H27年度から最も沿岸、海岸林脇での農業が再開されると聞いています。
――(海から数キロ離れた農地で主に行われていた)稲作の復旧状況は?
「今年から全面再開と聞いてる」
そういえば、日本農業新聞の全国版に掲載いただきました。
3月に2度も。HP「インフォメーション」欄をご覧ください。
国際協力ボランティアの木村です。
昨日の閖上①に続く第二弾は写真だけでお届けしたいと思います。
今年の3.11をもって震災から3年目が過ぎました。
「震災の風化」が言われておりますが、
「忘れないでほしい」「こういう現場が今でもある、昔あったことを知ってほしい」という気持ちで
このような形で掲載させていただきました。
思い出したくないという方もいらっしゃるかと思いますがご了承ください。
沿岸部は未だ殺伐とした光景。
しかし、一歩一歩前進しているといつも感じます。
名取市海岸林の北端、閖上港の今を見ることができました。
5km南の名取市最南端から見えた光景も、ガレキ処理の水蒸気ではなく、
閖上港復旧にあたる数本の巨大クレーンに代わりました。
海に面した最前線の県有林・市有林などは、
震災直後から「名取市内のガレキ置場」として提供されていましたが、
関係者のご尽力で、数か月も前倒しで処理が見事に完了し、
港湾整備と海岸林盛土造成の準備がすすんでいます。
初めてここに行ったのは2011年4月21日の航空調査。
5月25日には陸上踏査を行いました。
見渡す限りの倒伏したクロマツ、2時46分を指したままの時計、
あらゆるものが散乱していたことを思い出します。
復旧が開始され、一瞬でクロマツは撤去され、サイクルスポーツセンターも解体。
名取市内の全てのガレキが集積され、西松建設JVが24時間稼働して白い蒸気が夜も上がっていました。
一度だけ、ガレキ処理現場を視察する機会をいただきましたが、
瓦礫と海水交じりの砂を分別するという特殊事情に対して、
プロ180人が最先端の機器で処理にあたっていたのが強く印象に残ります。
2011年9月に積み上げられた木質ガレキが、圧縮熱で火災が発生し、海水で消火したためです。
今回は、名取市海岸林最北端の基点も確認できました。
数年後は、ここも我々の現場になります。
「閖上」(ゆりあげ)という地名は、名取側の河口。
砂が寄せ上げられ、船舶が座礁したり、転覆することも多かったそうです。
元々は砂が寄せ上げられるの意味の「よりあげ」と呼ばれ、
転訛して「ゆりあげ」と漢字のない地名で表記されていたとか。
伊達家4代目の殿様がここを訪れ、御寺の門の向うに水が見えたから
門に水=「閖」という字を付けて「ゆりあげと呼ぶように」と決めたとか。
西日本研修センターの農業研修生10名が現場訪問した際、
「鎮守の神様にお参りしたい」とのリクエストがあり、
名取市海岸林再生の会の鈴木英二会長とともに寄ってみました。
マンホールを指して、「これが地盤沈下の証拠だよ」と。
本当にこれがそうなら、恐らく70cm以上沈下したことになります。
「名取市 地盤沈下」と検索したら、
国土交通省HP内の宮城南部の地図がヒットしました。
http://www.mlit.go.jp/common/000143300.pdf(国土交通省、宮城県)
こんなに広範囲に海抜0メートルになっているとは…
参考まで、名取市南側の岩沼市、HPには下記のような記述がありました。
仙台平野では、海抜0メートル以下の地域が、
震災前の5倍余りに広がり、高潮などによる災害の危険性が高まっています。
前には、岩沼市や名取市などで3平方キロメートルしかなかったが、
海抜0メートル以下の地域が、震災後には16平方キロメートルと5倍余りに広がっています。
中でも岩沼や亘理では、これまで、ほとんどなかった海抜0メートル以下の地域が、
沿岸部の広い範囲で確認されました。大潮の満潮時の海面と同じ高さになった地域も
、面積は前の32平方キロメートルから56平方キロメートルに増え、
名取や岩沼では海岸からおよそ5キロメートルの地点まで広がっているところもありました。
さらに、昭和55年に過去最も高い潮位を観測し、
沿岸部の住宅が流された時の海面と同じ高さになった地域も、
前の83平方キロメートルから111平方キロメートルに広がっていることがわかりました。
広報の林です。
突然ですが、皆さんは冬物をいつしまいますか。
セーターなどしまってからまた寒さが戻ってきて
「あ~しまわなければよかった」
なんて経験ありませんか??
私は寒がりなので、暖かくなってもまたいつ寒さが戻るか分からなくて
いつも5月ぐらいまでなかなか冬物がしまえないままでいます。
先日マツが厚着をしているとお伝えしました。
3月16日に育苗場に行くと、寒い間、頂芽に白いモコモコをまとって
冬眠していたマツが起き始めていました!
この前まで真っ白だったのに。
白いモコモコを脱いで茶色になっていました。
これから成長が始まります。
でも、もしまた寒くなると大変。
人間と同じように「しまった! 脱ぐんじゃなかった」と後悔することに。
人間はセーターをまた引っぱり出して来ればいいのですが
マツはそういうわけにはいかないようです。
このまま春になってくれるといいのですが・・・。
「海岸林再生プロジェクト」の視察に来られた方の多くはこの誘導灯を見れば「ああ、あそこね。行った、行った」と思うことでしょう。今は、盛り土を見てもらうポイントですが、かつてはなぎ倒されたクロマツがそのままになっていたため、被災状況を理解してもらうために必ず見てもらうポイントでした。
ここにいるとたくさんの飛行機が頭上を飛んでいきます。
いつか、これから植林が始まるこのエリアを
飛行機から見てみたいなぁと思っていたところ、
そのチャンスが到来しました!
愛知出張から名取の現場に行くことになり、セントレアから仙台へ。
運よく窓側が予約できたため、楽しみにしていました。
機内では「富士山が右側に見えます」「猪苗代湖が右後方にご覧いただけます」と
景色を楽しむためのアナウンスがあり、
まったく地理がダメな私も今どのあたりを飛んでいるのかがよくわかりました。
そしていざ、誘導灯へ・・・・・・というときはすでに夕方6時を回っていました。
外は薄暗く、盛り土は見えるのだろうかと心配していましたが、見えました!
北釜にぽつんと一軒ある鈴木英二会長の自宅も!(写真がなくてすみません)
一瞬ではありましたが、地上から見るのとは違うスケールで
盛り土が広がっているのが分かりました。
次は明るい時に見たいなぁ・・・。
次回も名取へは地方出張の後に行くことにしよう。
西日本研修センター研修生 プロジェクト視察
西日本研修センターの芝田です。
3月4~5日、農業コース11名と家政科コース1名の計12名の研修生が宮城県を訪問し、プロジェクトを視察しました。
初日は海岸林再生の会の鈴木英二会長のご自宅を訪問し、震災当時の状況や現在離散してしまったコミュニティについて、またふるさと復興への思いを、写真や実際津波の被害にあったご自宅を前にお話しいただきました。研修生は震災の事や大津波、またそれが及ぼした被害について、インターネットやニュース、また訪日後は研修センターでの視察前学習である程度勉強はしていたが、実際現場に立ち、また被災された方から直接お話を聞くことで津波の恐ろしさ、被害の深刻さ、何より被災された地域の方々の思いを肌で感じたようで「震災や津波は恐ろしい」「被災地に対して何か私たちにできることはないか?何か協力したい」と言っていました。また、インドンネシアやフィリピンの研修生は大地震や台風などで自国も被害を受けているため、震災時苦労した点や津波が来た場合どうすべきか?家族は?コミュニティは?など、深く関心を持って質問していました。
2日目は農家の方々のハウスで作業をお手伝いしながら震災当時の畑の状況や復興するまでの過程など色々とお話をうかがいました。
帰国前最後の視察研修となった今回、実際に自国で災害を経験した研修生やこれから現地で植林プロジェクトを行う者などがいる中で、一人ひとり多くのことを勉強できました。そして、被災された方々との交流の中で、それぞれが口を揃えて言ったことは「決して諦めないという強い心に私たちが元気をもらった」「そのことが本当に素晴らしい」ということでした。
彼らはふるさとに帰ります。さまざまな困難な状況がある中、ふるさとや家族への思い、そしてどんな状況でも「あきらめない」この言葉を一人一人がしっかりと心に刻み、「一緒に頑張りましょう!」と皆さんとお別れした時の気持ちを忘れず、元気に何事にも前向きに頑張ってもらいたいと思います。