風の想い出
私は関東平野の端の方で育ちました。
相模「原」ですから、「赤城おろし」には及びませんが、それなりの風は吹いていました。
高校生の時は片道9kmですが、遮るものがない畑ばかりの道を、
向かい風と、関東ローム層の赤茶けた細かい砂塵のなか、自転車通学するのが日常でした。
中学からソフトテニスをやっていました。
「風を利する」かどうかが、勝負の分かれ目だったことは多いです。
試合前も最中も、無意識に風を計算しました。
高校3年生の時、海の近くのコートでの関東大会県予選で、初戦負けしたことがありました。
当時は浜の暴風を恨みました。
マネージャーは負け審判をしているところを写真に撮ってくれました。
猫背になった情けない姿の写真でしたが、その後も大事にしてきました。
大学では九十九里の海岸林の内陸、白子町のコートで数十回試合をしましたが、
風は一日の中、試合の中だけでこんなに向きが変わるのかと思ったものです。
林業会社では「風は10時から」とよく話題になりました。
数年かけて取り組んでいた施業地近くに風巻山という山があり、
名前の通りの山ですから気流が複雑で、昔の事故の話も口伝されていました。
「五感で仕事しろ」と、危険予知を含めて、社長から叱咤される日々でした。
最近は、どこかで誰かが「人生は少々の向い風が丁度イイ」と言っているのを聞いた気がします。
名取では向かい風だけでなく、背後からも強烈な蔵王降ろしが吹いて来て、寒風害をもたらします。
これまで様々教わったこと、感じたことは、きっと今後に活かせるのだと思います。
襟裳岬視察では、風と向き合い、受け止め続けた現場を見ることができ、今後がますます楽しみになってきました。