道半ば
2016年9月8日( カテゴリー: 現場レポート )
8月末、震災から2000日が経ったという。
地元向けボランティア募集のポスターを撤去するため、
市の広報掲示板130か所を自転車で回り、まだ知らぬ名取市を知る機会があった。
普段行くことが少ない地域の仮設住宅も訪ねた。
2000日といってもピンと来ないが、他の被災地と同様、名取市には
いまだ多くの方が仮設住んでいることを、あらためて目の当たりにした。
伊豆大島の豪雨と深層崩壊、茨城の竜巻、広島の豪雨と土砂災害…
東北だけでなく全国にも、仮設暮らしを余儀なくされている人がいるだろう。
名取市は東西に長い。
市内の浸水区域は、全体から見て、一部と言おうと思えば言えなくもない。
津波が来なかった街の中では、私にとっての名取を忘れてしまいそうになる。
閑静で品のある街並み、たくさんの小さな公園、おしゃれなcafe、魅力的な食堂も見つけた。
自転車では大変だったが、仙台平野はもちろん、太平洋を一望できる高台にも行った。
新たな魅力を知ることができた。掲示板は、公園やごみの集積所とともに
あることが多い。いずれも丁寧に掃除され、民度の高さを感じた。
8月に全国のオイスカ会員、海岸林支援者、住所が分かるボランティア参加者に、
報告のダイレクトメールを送った。寄附も数多く寄せられている。
郵便払込票には一言添えてくださる方も多い。
オイスカ本部で読むのがちょっとした楽しみになっている。
オイスカの会員が多い地域に寄附者も多いという地域的偏りはあるものの、
本当に全国からの支援が今も続く。広島からも、九州全域からも。
もちろん名取からも。
ボランティア参加者全体のうち、宮城県民は4割弱。しかし、名取市民は1割に満たないのが実情。
それでも、市民向けボランティアの日には「ポスターで知りました」と言ってくれた専門学校生がいた。
議員事務所インターンの大学生と一緒に参加した市議会議員さんも、再生の会の副会長の奥さんも来た。
満員御礼の結果は出なかったが、1ヵ月風雨に耐えてくれたポスターを愛おしく思いながら撤去した。
その一方、津波が押し寄せた東部道路のすぐ近くに住む女子大生は、
「名取市民はこれだけしかいないんですか…」と絶句し、ガッカリさせてしまった。
また、「金もらえるなら行く」と冗談交じりで言われたのも最近。
「ボランティアは暇な人がやること」という素直な噂話のタレ込みもあった。
2000日と言う年月は、あの頃、どんなに助けてもらったのかすら忘れさせてしまう。
地元名取市民の参加者が少ないのは、私たちの努力が足らないから。
ならば組織的動員をかければイイじゃないかという意見もあった。
しかし、それそのものは地元が自主的に考えるべきこと。襟裳岬のように。
オイスカが動いたら、「自主自立」「自助努力」を捨てて、白旗を上げるのと同じ。
意識の低い人が頭数だけ来ても、第1回植樹祭の時のようにお茶が出ないことや、
歩かせられたことにまで、腹を立てる人も来る。
病人や怪我人も出る。質の低い仕事、現場は荒れて、イイことなど一つもない。
2000日。私たちも道半ば。
私が目標にしている襟裳岬はまだまだ遠い。
しかし、同じ歩くなら、あのようにダイナミックな思想で道を歩みたい。