2025年度インターンの柚原結女と柴崎翔吾です。昨年度下半期頃、リピーターの皆さんへの関心が強くなり、オイスカスタッフの皆さんと話し合って、インタビューをコツコツ続けて記録に残すことを決めていただきました。試験やら何やらで遅れてしまいましたが、公開に漕ぎつけました。インタビューにご協力いただいた皆さん、ありがとうございました。ブログカテゴリーも「海岸林の’ひと’=ボランティアリピーターへのインタビュー記録」として新設となりました。私たち自身、これからのインターンの方たち、オイスカスタッフの皆さんで続けてまいります。

海岸林の“ひと”トップバッターは、森直さん。

森さんは、超ベテランボランティアリピーターの1人。現場では帽子ではなくタオルを巻く派。公募ボランティアの時はもちろん、少人数の作業時も来て下さる先鋭部隊です。

左が森さん、右の二人が私たち

<プロフィール>

1966年生まれ。埼玉生まれ、仙台育ち。岩沼在住。現在は東北大学の多元物質科学研究所にて仕事をしている。

<海岸林プロジェクトに関わったきっかけと概要>

震災当時、森さん一家は宇都宮にいたため、津波の被害を受けることはなかったが、実家のある名取市北釜は大きな被害を受けた。北釜の多くの知り合いを亡くした。震災の2週間後、名取に戻って来た時、これはダメだと思った。

オイスカと再生の会のことは立ち上げから知っていた。「何もないここでやり始めている」という印象だった。2015年からは復興のために、宇都宮から毎月オイスカの活動に参加するようになった。この場所が少しでも良くなるように、という思いだった。

畑もその1つである。森さんは名取の沿岸地域で畑を行っている。震災後、名取の海岸地域の一部は災害危険区域に指定され、居住制限区域となった。家を建てることができないため、その一部地域では国や自治体の補助金によって畑や農業用ハウスが建ち並べられた。しかし、居住域から離れた場所での農業には難しい面もあり、辞めてしまった農家も多くいるという。森さんもこの地域で畑をやっている1人である。

転機はコロナ下だった。当時、オイスカのボランティア受け入れは、感染拡大防止のため地元住民のみに制限され、他県から参加することはできなくなっていた。それなら県内に住めば良いのでは!という意思のもと、仕事を辞め、家族を説得して、名取市に隣接する岩沼市に引っ越してきた。そこから、ボランティアにさらに頻繁に参加するようになり、今に至る。

<なぜ今に至るまで長くボランティアを続けているのか>

宮城に住んでいるから。ここをなんとかしたいと思っているから。名取沿岸地区は人が住めない地区であるが、本来人が住んでいなければ地域というものは成り立たない。だから、人は少しでもいた方がいい。そして、畑や野外作業などを通して体を動かしていたい、生きがいにしたい。海岸林プロジェクトでは参加者の数が維持し続けられているが、これは本当に凄いことだと思う。どんな活動も最初は盛り上がるが、衰えてしまうもの。

<こぼれ話>

ボランティア作業の中で実は好きだったのが、蔓豆刈り。そして、地元のおばあちゃん達とのキノコの話。アミタケが出てきたら教えてくれとか。そんなやりとりが好きだ。

<これから先の展望>

人をもっと増やしたい。観光でも地元の人でも、ここに関わる人を、そして人が集まれる場所を作りたい。そして身体が動く限り、ボランティア活動を続けたい。

<編集後記(柚原)>

今回のインタビューは、森さん愛用のハウスの中で行いました。まさかの焼き芋を振舞って下さり、お土産には側の畑で収穫した白菜と落花生まで。普段は現場作業の話ばかりしていましたが、今回深くまでお話を聞くことができ、初めて知ることが多かったり、意外な共通点が出てきたりととても驚きが多かったです。暖かいハウスの中でホカホカのサツマイモを片手にインタビューさせて頂きました‥!お腹も心もいっぱいになった時間でした。ありがとうございました。

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