私にとっての播種

2018年5月5日( カテゴリー: 現場レポート )

いま、じつは育苗場を見るたびに悔しい思いをしています。
2・3年前あたり、僕の折衝に厳しさが不足したからです。
その後も粘り強く挽回するチャンスはあったはず。
昨年播種の苗のほとんどは、名取の現場に行き場がないことがわかりました。
聞いたときはさすがに頭が白くなりました。国復旧の盛土への植栽は今年で終わりますが、
復興予算で買い上げた宅地跡に、新たな盛土造成する県・市の新事業が遅れているからです。
2020年までの最終段階は、思わぬ波風があるだろうと、覚悟してましたが。
仕方ない事情は多分にあります。こういう難しい現象は被災地の至る所にあることでしょう。
使い道は十分あり。どこかの復興の現場で、苗は必ず役立ちます。
ですが、自分の手腕に関して「まあいいじゃないか」と簡単に思えません。
1年前倒しで終わる可能性もあったし、それに勝る低コスト経営はないからです。
この経験は決して忘れないでしょう。
「種を播いて植えるまで2年あるんだからね」
2011年5月以来、前種苗組合長から繰り返し教わりました。
計画性、先を見通す力が必要という意味と、工事設計を信じ過ぎても、
いざという時は自分で被るしかないのだと解釈しました。
平時であれば、種苗農家にとって廃棄処分=収入ナシに相当します。
行き場のない苗を焼却したのが消防にバレて、罰金を取られた人もいると。
「吉田君と会って丸7年だなあ」
種蒔きの朝、そう言ってくださる再生の会メンバーがいました。
2012年3月30日が初めての播種。今回で7回目。これが最後。
あの日は終わってから、再生の会とオイスカで、祝い唄を歌いながら涙しました。
以来蒔いた粒数は、約60万粒。

私にとって一生忘れない祝い唄でした(2012年3月30日)

私にとって一生忘れない祝い唄でした
(2012年3月30日)


初めての発芽の瞬間は、写真は唯一この1枚(撮影:秋山キナ君、2012年4月28日)

初めての発芽の瞬間は、写真は唯一この1枚
(撮影:秋山キナ君、2012年4月28日)


宮城県産マツノザイセンチュウ抵抗性クロマツ 44,664粒(コンテナ1,861台分)
宮城県産マツノザイセンチュウ抵抗性アカマツ  2,184粒(コンテナ91台分)
今回4月26日に蒔いた数です。1日で終わりました。例年の半分以下ですから。
作業は再生の会16人、松島森林総合3人、オイスカは理事長を含む8人。
再生の会はやっぱり仲がいいなあ~(2018年4月26日)

再生の会はやっぱり仲がいいなあ~(2018年4月26日)


5月19日の植樹祭、この時には発芽しているはずです。
だいたい2週間で出るでしょう。本当に楽しみ。
「発芽しなかったら、佐々木、清藤、吉田は切腹」って自分たちで話したこと、
1年目は発芽まで28日かかったこと、残雪の安達太良山を登ってるときに
第一報を聞いたこと、毎春必ず思い出します。

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