準備と運と応援と 大阪マラソンのご報告
11月26日、62歳にして初のフルマラソンを走りました。後からインターネットで動画を見ると、自分のイメージとは裏腹のトボトボ走る姿にがっくりしますが、とにもかくにも「歩かず完走」の目標だけは果たし、マラソンという手ごわい遊び友達と楽しく遊べたことに感謝しています。
それなりの練習と体調管理という事前の準備がそこそこできたこと、当日が肌寒いくらいの気候で風も日差しもほとんどなく絶好のマラソン日和だったこと、そして何より、経験者をはじめとするみなさんから貴重なアドバイスや支援・応援をいただいたこと。そうしたことで完走できたのだと思います。ありがとうございました。
練習は3月からボチボチ始めました。最初のころ、“走って”いたらおばさんに道を聞かれてショックを受けました。普通はジョギングしている人に道は聞かない、きっと“歩いて”いると勘違いされたのです。それでも11月初め、まとめて30キロ走ったことが多少の自信にはなりました。本番でも、12キロ走ったところで「あと30キロなら走ったことのある距離だ」と根拠のない楽観主義に背中を押されました。
体調面での最大の決断は、本番二週間前から酒を断ったことです。これは、酒がマラソンに悪いということではサラサラなく、「何事かを成し遂げようとするなら好きな何事かを諦めなければならない」という根拠のない精神主義からです。40年以上前に酒を飲みだしてからこれほど長期間酒を飲まなかったのは初めてです。ほかにも、雑誌などの読みかじりで、9時スタートの本番に備えて一週間前から6時に起きたこと、カーボローディングなる食事法を試したこと、など、いろいろやってはみました。役に立ったかどうかは分かりませんが、「ちゃんと準備はしたのだ」というあまり根拠のない安心感にはなりました。
当日はオイスカの仲間が脚にがっちりとテーピングをしてくれ、別の仲間はつらないようにとマグネシウムのタブレットをくれました。経験者には、5キロじゃ細かすぎるから7キロごとの想定タイムを立てておくといいとアドバイスをもらい、油性ペンで7キロ47分、14キロ1時間35分……と腕に書き込みました。後で見直したら42キロからゴールまでの195メートルに10分もかかるという計算違いをしていたので、結構緊張していたのかもしれません。当初の目標は5時間だったのですが、練習してみてかなり厳しいことが分かり、なんとか5時間半までには……と変えました。
走り出してとにかく励みになったのは応援です。OISCAののぼりに気づき、その下に知った顔が見えたときのうれしさ、ゼッケンに書かれた名前を見つけて「コバヤシサーン、ガンバッテー」と叫ぶ浪速のおばちゃんの声を聞いた時の感激。走る時は、高橋尚子の説にしたがって、腰を高く保つこと、あごを引くこと、腕を振ること、の3つに注意していたのですが、もう一つ、「笑顔で」も心がけました。沿道からも「笑って」と声がかかると、そうだったそうだった、と思い直して笑いました。当日は寒かったので例年より応援は少なかったようですが、沿道の声にこれほどの力があるとはまったく思っていませんでした。とくに終盤疲れ果ててくると、励まされるのを通り越してなぜかほろりとしてしまうこともありました。
結局歩くこともなく、想定タイムよりずいぶん早い実質4時間50分4秒でゴールできたのは我ながら上出来です。途中空腹になることはなかったのですが、勧められてチョコレート1かけと沢庵一切れだけ食べました。チョコはともかく沢庵に何か効果があったのかどうかは分かりません。もらったマグネシウムのタブレットや給水所のスポーツドリンクは一人前に丹念に口にしました。
今回のマラソンは心の中で「近所のタバコ屋にタバコを買いに行くように、42キロ走って帰ってこよう」と決めていました。だから、あまりランナーっぽい格好は避けたのですが、そんな心がけが、無用な力みを抜いてくれたようにも思います。もちろん、タバコ屋は思っていたよりもずっとずっとずっとずっと遠かったのですが。
直前二週間はノンアルコールビールとご飯しか口にしなかった行きつけの飲み屋に完走の報告に行ったら、ロゼのスパークリングワインをシュポンと開けてお祝いしてくれました。ただ、スマホに写ったゴールインの雄姿が笑いものになったのにはムッとしました。