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私は船が大好きです。
無料渡船は電話で呼ぶとすぐに来てくれます。


帰京することができない休日、「休まなきゃ」という一心で、塩竈市の浦戸諸島を定期船と無料渡船を駆使し、存分に「歩いて」きました。
松島の島々が防波堤になったことはよく知られていますが、その最前線です。 塩釜港から1時間で一番遠くの朴島に。カモメが着いてきますが、餌をやってはいけません。
島の人口は、桂島200 人、寒風沢(さぶさわ)島150 人、野々島70 人、石浜40 人、朴島20 人。 残念ながら3年前の津波では、寒風沢島で2名の死者と1名の行方不明者が出てしまったとのこと。
一見、何もなかったかのようにも思えます。船員さんに聞くと、元々空き家をこの機会に更地にした家も多いそうです。 しかし、港の沈下は1m近く、まさに復旧途上です。
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正しくは塩「竈」市と書くそうです。とても書くことが出来ません。


港でいただいた、とても分かりやすい島の案内図を手に 朴島、寒風沢島、野々島、桂島の4つを無心でちょっとしたトレッキング。 無料渡船の連絡先も書いてあります。椿、水仙、菜の花、満開の桜、春蘭も、キツネも見つけました。 一日中昼寝しているような、のんびりした猫もいっぱい。島の名物。彼女たちも無事生き残ったのでしょうね。
ここでは「ソイ」も釣れるようです。 でも「まだ釣り糸を垂れる気にはなれない。暇そうにしているみたいで」と言う人も。 一方で、渡船の船頭さんは「65歳まであと5年は働かなきゃ。今はフグが卵を産みに近くに来るから、それを網ですくうんだ。 旨いもんばっかり食べてるから、太っちゃって」と。
寒風沢島の海水浴場に、チリ地震津波に関する石碑がありました。 今から54年前の昭和35年(1960年)5月22日の15時11分にチリで地震が起こり、 22時間後の日本時間5月24日未明に最大6mの津波が三陸海岸沿岸部を襲い、142名が亡くなったものです。

5月24日…我々の植樹祭の日。奇遇なものです。

 

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まさに「白砂青松」。
暖かければ、ここで寝てしまったかも…。


石碑の前は、まさに白砂青松。
樹齢150年近い見事なクロマツがそびえ立ちます。
伐採された木の年輪を数えると、やはりチリ津波の後は、相当のストレスによって年輪幅が本当にわずかしかない。
チリ津波にも、3年前の津波にも耐えて今も生きている。
クロマツの背後には、離島にもかかわらず広大な農地。休日返上で農地復旧に当たる作業員さんたちが。
桂島の海水浴場は今夏から再開されると聞きましたが、ここの重厚なクロマツの多くは今回の津波には耐えられなかったようです。
4月半ばですから往路復路ともに凍てつく風。歩き疲れて、暖かい船内でも、仙石線でも熟睡してしまいました。
歩数計は22,000歩。

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