震災で被害を受けた自宅は改修しても、居住禁止区域に指定されて「年度内に立ち退き」という話をよく聞きます。全て取り壊すことが補助の条件です。育苗場地主さんご家族をはじめご縁をいただいた方々は、いつでも会えるという状況ではなくなってしまいます。同じ自治会だった人も移転先の自治会に入ります。震災直後、名取とのご縁を受けたとき「コミュニティーがバラバラになってしまう」という訴えを聞き、それも立案の重要なキーワードとなりました。「第一育苗場に行けばみんなと会える」「大きな目標として将来の励みとなる」そんな場にしようと思ってプロジェクトを進めてきました。
この写真は、第一育苗場から程近い一軒からの朝の風景です。左上が第一育苗場です。
オイスカ海外事業部の藤井君と、インドネシアからの農業指導を学びに来ている研修生OBと、かわるがわる4日にわたってホームステイさせていただきました。しかし、この家も2月に立ち退きになるそうです。息子さんが昔アメリカに1年間ホームステイしたそうで、いつか我々に対しても何か役に立ちたいと思って受け入れてくださったとのことでした。この方とは出張の度、仙台空港などでお目にかかっていたし、ご主人も4月の床替に加わっていたと聞きました。ご夫妻からはいつもと違う角度から色々な話を伺うことができました。
農地整備事業は津波の影響が少なかった内陸から進められ、写真でご覧のとおり、
波打ち際から約2kmのこの地区まで進められております。
もうすぐ第一育苗場を越えて、海岸林背後のビニールハウス団地にも迫ります。
減反廃止に舵が切られましたが、当地は見るからに大規模農業経営が進むように思えます。
しかし、地下水の塩分の影響が今も尾を引いています。
波打ち際から1.4kmの第一育苗場は作業に使える水脈を掘り当て、数本の井戸を掘ることが出来ましたが、
海岸に近くなればなるほど水が問題になっています。
沿岸部の例にもれず、宮城南部は地下水が高く、第一育苗場は1~2m掘るだけで水に当たります。
昔から排水に悩まされ、周辺地域は水路が多く、排水ポンプ場をいたるところで目にします。
昔は深田で知られ、「苦労するから嫁に行かせたくない」という話もあったそうです。
水はいくらでもあるのに使えないというのは皮肉です。
今年、海から10km以上離れた地区では、この地区では珍しく反当り9俵のお米の収穫があったとのこと。
作柄は豊作のようです。(ちなみにどんぐりは不作)今後沿岸部の水田はどうなるでしょう。
復興には10年はかかると言われていますが、一歩一歩前進していると思うのです。
「名取耕土」と再生の会のTさんが言うような、そんな将来の姿にするための一翼を担おうと思うのです。