お母さんたちへの活動報告会を前に
連日「オタク」と呼ばれておりました。
むかしは、寝言を山ほど記録されました。
仲間曰く「言語明瞭」「一つの文章」「仲間ならわかる日常ネタ」というのが共通の証言。
でも、好きな女性の事は言わないようだから、どこでも自信を持って寝れました。
でも、最近は何と言っているんだろう。
オタク&寝言の主らしく、「そんなの植えて、土や管理のコストはどうするんだ」とか吠えてるんだろうか。
話しは変わりますが・・・。
11月15日、大きなご支援をいただいた船橋市PTA連合会の大会で、
大勢のお母さんたちに話を聞いていただくため、準備に精を出しました。
オタクの休日で、千葉の館山市平砂浦に行ったのは、やっぱり地元の話から入るべきかと思ったので。
数百人なのでしょうね。与えられている時間は1時間強。
飽きられないように、呆れられないように、準備はちょこっと必死です。
じつは、震災直後の5月よりこの春までの2年間、私も小学校のPTA会長でした。
半年断わり続けたのですが、隣の親父が前会長で「頼む」と言われ、仕方なく応じました。
そして、会長には内定し、長男が小学校を卒業する間際、20011年3月11日に震災が。
卒業式の時、閖上の学校体育館での悲劇を思い浮かべ、周りの席の親父や母ちゃんたちの涙にもつられててしまい。
「海岸林も、PTAも一生懸命やろう」と卒業式の最中に強く決意したことをいつも忘れていません。
ですが、粗相を絵に描いたような私です。
近所の誰かが、PTAに相応しくないのに指名されたのを根に持っていたので、
総会の就任あいさつの際、「私のこと指名した人は誰ですか?!!」と放言しました。
もちろん狙いもあり、笑いをとる流れで。
うちのPTAの組織は、お母ちゃん50人以上に男は1人。大仕事もあったし、酒豪揃いで、異次元の経験でした。
当日は相手がお母さんたちという事を意識して、オタクは脇に置いて話をしようと準備してます。
でも、やっぱり、無理かな~。
むかしブログにも書きましたが、この復興の仕事をしてきて「曲がり角にはいつも女性がいてサポートしてくれた」。
そんな話も船橋でしようかな。こういうと嫌味っぽいですが、これは今でも心からそう思っています。