本部・海外事業部のグラゼンです。
3月18日、フィリピンのヌエバビスカヤの植林プロジェクトなどで長年尽力されたマリオ・ロペスさんが71歳で永眠されました。
私は、スタッフとしてこの植林プロジェクトに携わるようになって以来、ロペスさんとは15年近い付き合いになります。私はロペスさんを、尊敬と親しみを込めて「ドク」と呼んでいました。
ドクは、ふるさとのはげ山を指さして、何度もこう語っていました。
「はげ山を見るたびに、心が痛くなるんだよ」
自営で果樹栽培をはじめとする多くの仕事をこなしながらも、ふるさとの山々を緑豊かに戻すこの植林プロジェクトに人生を捧げてこられた方でした。ドクのこの姿勢は自然とスタッフにも伝わり、私は、まわりのスタッフたちの献身的な働きに心を打たれることが何度もありました。
プロジェクト支援のための提案書や報告書をまとめる際、ドクはとても快く情報を提供してくれ、朝の3時にメールが届くこともありました。朝はインターネットがつながりやすいからねと。このような姿勢からも植林プロジェクトに対するドクの真剣な思いが伝わってきました。
また、マニラから250キロ離れた植林プロジェクトを訪れるために夜行バスで早朝に現地入りした時は、私の安全を心配し、何度もSNSでメッセージをくれ、バスの到着場所で待っていてくれたこともありました。そして、プロジェクトサイト視察のために山へ入る前に、ドクのご自宅でたっぷりの朝食を用意していてくれました。そんな心配りもドクらしさだったと思います。
1994年の植林プロジェクト開始当初からドクと一緒に働いてきたスタッフのほとんどが、彼の想いに共感し、「山を緑に戻したい」という夢を共有してきました。中には親子2代で関わっているスタッフもいます。
以前、古参のスタッフにインタビューをしたことがあります。
彼女は、ドクの人柄をとても高く評価していました。そして、ドクとスタッフがプロジェクトに関する話をする際、いつも対等な立場で意見を言うことができたといいます。私は、これこそがプロジェクトの成功のカギのひとつだと感じました。
ドクはスタッフへのねぎらいの気持ちから、食事をごちそうしたり、贈り物をしたりすることをいといませんでした。スタッフにとっては、現場の苦労を見ていてくれ、評価してくれていることが伝わり、報われたという気持ちになるのだろうと思います。
以前、ブログでも書いたことがありますが、森林再生プロジェクトの最大の課題は山火事です。70歳になった去年も、ドクは現場に立ち、スタッフたちと共に消火活動にあたっていました。乾季には山のあちこちで火事が発生します。そんな中、日々の消火作業に追われる彼らの疲労は計り知れません。でも、ドクやスタッフの顔には、山を守るという使命感がにじんでいました。
消火にあたったスタッフをねぎらうために、食事を提供することもあったそうです。
また、あるときは住民の不注意によって発生した火災でプロジェクトに被害が及びました。その時、ドクは対立を恐れず、裁判も辞さない覚悟で臨みました。自分の身よりも山を優先するその姿に、私は深く胸を打たれました。
「立派に成長した森を見てどう感じますか?」
ある日、そんなふうに尋ねた私に、ドクは微笑みながら、そして誇らしげにこう答えてくれました
「It is my legacy.」
そして、ドクとの最期の会話の中の「Legacy」という言葉も深く心に残っています。
1982年、日本での1年間の研修期間中に見た青々とした日本の山々に衝撃を受け、ふるさとのはげ山を緑豊かな山に戻したいと決意してから43年。1993年にようやく植林プロジェクトを開始できてから32年。ドクの人生をかけて、多くの人たちとともにつくりあげてきた650ヘクタールの緑豊かな山々を未来に受け継いでいってほしい。未来の子どもたちが緑豊かな山々で幸せに暮らしてほしい。そんな願いが含まれているように思い、「Legacy」という言葉の重みを感じています。
きっとご家族も、ドクの偉業を誇りに思っていることと思います。
そしてドクは今、ご家族のお墓ではなく、植林プロジェクトの現場に眠っています。
ドクが植えた木々とそこに集う鳥や動物たちのセレナーデを、毎日、耳にしているのだと思います。
ありがとうドク。どうぞ安らかにお眠りください。
ドクとともに仕事ができたことを、私は心から誇りに思っています。