啓発普及部の鈴木です。
12月は寄付月間。「欲しい未来へ、寄付を贈ろう。」を合言葉に、毎年寄付を啓発するキャンペーン、Giving December が全国で行われており、オイスカは今年も賛同パートナーとなっています。
12月1日、寄付月間2023キックオフイベント「わたしの寄付は社会のスキマを埋められますか ~資本主義における寄付の役割~」がリアルとオンラインのハイブリッド開催で、会場が職場からも家からも近くでしたので、会場参加してきました。
非営利団体、企業、マスコミ関係、各種団体などから90人ほどが参加していました。ちょうど背中合わせになった方は兵庫から来ましたと言っていましたので、遠方から参加の方もわりといたように思います。オンラインでは海外からの参加もあったようです。
会場全体があたたかく、ふんわりした雰囲気に包まれていて、とても居心地がよかったです。
第一部のトークセッションで印象に残った言葉をいくつか
寄付とは「贈与=人のために贈り物をする、お歳暮を贈る、お年玉を渡す、人におごるもすべて含む」と考えています。そう考えると、私たちの世の中は贈与=寄付にあふれています。
一般社団法人新しい贈与論 代表理事の桂大介さんがこう話しました。
この言葉に何かしっくりくるものがありました。
相手を想い、相手に喜んでもらいたくて、お礼をしたくて、時にはお詫びもあるかもしれないし、義理だってあるかもしれない。それでも、贈り物を選んでいる時間、渡す瞬間、相手の喜ぶ顔、そこにはあたたかいふんわりした空気がある気がします。
日本には「寄付文化が根付いていない」とは度々耳にすることばです。
確かに、2020年の個人寄附総額はアメリカが34兆円、一方、日本は1兆2千億円となっていて、かなりの差があります。これをもって寄付文化がないというのは何か違うなと常々思っています。
桂さんが、日本には世界でも類まれな贈与の文化があるんです。お土産の文化は他の国には見られませんし、お年玉だって・・・と話されました。
そう!寄付は遠い誰かのためにお金を贈ることだと勝手に思い込んでいましたが、家族への誕生日プレゼントだって寄付と考えれば、とっても身近なことなんだよなと、勝手に腑に落ちました。
そういえば、実家の両親は、地域の秋祭りや神社の本殿の建て替え、お寺にもずいぶんと当たり前のように寄付していたよな。昔からずっと続いていて、寄付などとは考えずに当たり前にその時期になるとお金を出す。日本には寄付文化が根付いていないと言われているけど、やっぱりそうではない気がする。
世界でいろいろなことが起きている今だからこそ、誰かを想って贈る。
せめて12月は幸せな空気でつつまれる月であってほしい。
たくさんのあたたかい気持ちを受けることができる寄付の仕事に携われていることに、しみじみとありがたいなと思う12月の最初の日でした。
「2023オイスカ冬募金」であたたかいお気持ちをお寄せいただければ幸いです。