台湾から来たインターンの黄です。昨日のブログの続きです。
鈴木英二さんとの出会い
2日目は、名取市海岸林再生会の会長であり、空港近くで駐車場を経営する鈴木英二さんとお会いしました。事前に本で鈴木さんのことを読んではいたが、直接お話を聞くことで、鈴木さんのストーリーの重みをより深く感じることができました。
鈴木さんは、東日本大震災の発生当時、海岸林があったおかげで30秒の猶予を得ることができ、その間に仙台空港駅へ逃げ、九死に一生を得ました。そして、自分を生かしてくれた海岸林への恩返しとして、名取市の復興活動に尽力してきました。
特に印象的だったのは、鈴木さんが名取市に「台湾式の寺」を建てたという話です。震災後、台湾の慈済基金会が名取市の被災者一人一人に現金を支給する支援を行い、鈴木さんも7万円を受け取りました。鈴木さんはその恩を忘れず、感謝の気持ちを込めて、地元の人々が集まれる場、地域のコミュニティの基としてこの寺を建立しました。
地域のコミュニティの基として台湾式の寺
地域のコミュニティの基として台湾式の寺
左側が鈴木さんで、真ん中が大槻さん
鈴木さんから頂いた資料を拝見しながら、お話を伺った
この話を聞いて、改めて311の被害の大きさを痛感するとともに、人々が支え合い、復興に向けて尽力してきた姿に深く感動しました。特に、鈴木さんが自らの経験をもとに、個人として地域のためにこれほどまでに尽くしてきたことに、心から敬意を抱きました。鈴木さんは、自分が助かったことを「ただの幸運」として終わらせるのではなく、その命を地域社会のために使うことを決意し、震災後の名取市の復興に全力を注いできました。海岸林の再生を支援するだけでなく、被災した農家の復興にも尽力し、さらには台湾からの支援に感謝を示すために寺を建て、地域の人々が集える場所を作るという形で恩返しをしてきました。その一つ一つの行動には、「自分のため」ではなく「誰かのために」という強い意志が感じられ、私はその姿勢に圧倒される思いがしており、感心しました。
吉田部長の「献身の精神」
午後は、吉田部長と一緒に、病気になった黒松の調査を行いました。これはOISCAの管理範囲外のエリアでの作業でしたが、「この土地をより良くしたい」という一心で、自主的に取り組んでいました。
吉田部長は、周りを気にせず、自分がやるべきだと思ったことに突き進んでいく性格で、ただ与えられた仕事をこなすのではなく、本来ならば政府や行政が担うべきことまで率先して行い、宮城の海岸林再生のために尽力していました。例えば、黒松の病気を発見すると、それがOISCAの管理範囲外であろうとも見過ごすことなく、行政に報告し、適切な処置が取られるように働きかけていました。重要なのは「誰の仕事か」ではなく、「この土地を守るために何をすべきか」だったのです。
私は、この「献身の精神」に強く胸を打たれました。ただ漫然と仕事をするのではなく、使命感を持って全力を尽くす。利益や見返りを求めるのではなく、純粋に「この土地を守りたい」「より良くしたい」という思いで動く。その姿勢は、まるで自らの人生を捧げるかのような熱意に満ちていました。
この海岸林再生プロジェクトは、決して一人の力で成し遂げられるものではありません。しかし、同じような人がいるからこそ、10年以上にわたる活動が続き、多くの志を同じくする人々が集まり、協力し合いながら前に進んできたのだと実感しました。吉田部長の「献身の精神」は、決して無謀なものではなく、人々を巻き込み、確実に形となっていく力を持っているのです
一生懸命調査を行った吉田部長
枯れた松は既に病気にかかっている
終わりに
こうして、宮城県での出張は幕を閉じました。
この機会を与えてくださった吉田部長には、どれほど感謝してもしきれません。私はこの出張を通じて、単なる業務経験を超えた、もっと大きなものを学びました。それは、「土地を守るために人生を捧げる人々の覚悟」と「同じ志を持つ仲間とともに、ひたむきに歩み続けることの尊さ」です。
外国人としてこの地を訪れましたが、そこで出会った人々の情熱や信念に触れるうちに、次第に「ただの見学者」ではいられなくなりました。OISCAの現場作業を実際に経験し、手を動かしながら汗を流す中で、海岸林再生の意味を肌で感じました。そして、大槻さんや鈴木さんのように、震災後も地域のために尽くし続ける人々の物語を知り、そのひとつひとつが私の心を深く揺さぶりました。
何よりも、吉田部長の「献身の精神」が、私の胸に強く刻まれました。本来ならば政府が担うべきことまで、自らの信念だけで突き進み、行動し続ける姿。その情熱は、単なる「頑張り」ではなく、まさに「命を燃やす覚悟」でした。そして、その覚悟が、数えきれないほどの人々を巻き込み、10年以上の歳月をかけて、宮城の海岸に広がる緑の防波堤を生み出したのです。
この4日間で、私はただ知識を得たわけではありません。ここで生きる人々の想いに触れ、同じ空の下で共に働き、そして「復興とは、人の手で紡がれるものなのだ」と実感しました。復興は、決して復旧と違い、今も、そしてこれからも続いていくものです。その営みの一端に関わることができたことは、私にとって何よりの財産となりました。
宮城の空に別れを告げながら、私は誓いました。この地で学んだ「ひたむきに生きること」「目の前の課題に全力で向き合うこと」を、決して忘れないと。そして、いつの日か、自身も誰かのために、自分の力を尽くせる人間になりたいと。そして、その時が来たら、私もまた、「献身の精神」で突き進んでいきたいと思います。