本部・広報室の林です。
今回の出張の目的の一つにオイスカが一番初めに開発団を
派遣したジャンム・カシミール州の訪問がありました。
1966年。今から50年前の6月に海外で最初のオイスカの農業指導が
スタートしたということで、この時期の訪問となったのです。
ジャンムのシャリマールと今はカシミール農業大学になっているその地を中野良子総裁はじめ全国のオイスカ会員さんたち20名で訪ねました。
とにかく感動したのは当時のことを覚えていて、日本人と過ごした日々をとてもよい思い出として語ってくれるおじいさんたちにお話を聞けたこと。
ここは日本人が住んでいた宿舎だそうで、一人のおじいさんが案内をしてくれました。「この部屋に2人、この部屋に3人寝てた」「ここには神棚があって毎朝みんなで手を合わせていた」と教えてくれました。
言葉が通じなかったのが残念だったのですが、当時の写真を見せると「ミヤジマ!」「クロキ!!」と開発団員の名前まで覚えていて、中には尊いものにそうするように写真に手を合わせているおじいさんもいました。
「当時の仲間はたくさんあの世に行ってしまったけど、50年たって日本人がこうしてこの村に来てくれてみんなも喜んでいると思う」と話してくれたおじいさん。日本人はみんなよく働き、親切だったこと、わらを使ってぞうりをはじめ生活に必要なものを器用に作り、それを教えてくれたこと、彼らがつくる野菜は大きくておいしくて、それを村人にも無料で配ってくれていたこと……。話は尽きませんでした。
カシミール農業大学でも同じように、学校の職員の皆さんに混じって、同時を知るおじいさんたちが私たちを迎えてくれました。ここでもやはりほとんど言葉は通じませんでしたが、写真を見せると「ここに自分が写ってる!」と教えてくれたり、開発団を指さしては名前を口にしたり思い出そうとしたり。長く学校の農場で雇われていたそうですが、ほとんどは引退しているというおじいさんたちを大学側の配慮でしょうか、声をかけて集まってもらっていたようです。
びっくりしたのは当時の写真を胸ポケットに入れて持ってきていた
おじいさんがいたこと! 大事にしていたのでしょう。
取り出して私に見せてくれました。
稲作やリンゴの剪定など当時日本人が教えてくれた技術が今もこの地で
広がっていることを知ることができ、うれしく思いました。