2023年7月18日

「村人が豊かに暮らせる森がある美しい風景」を、世界でつくっていきたい

  • ミャンマー
  • フィリピン
  • タイ
  • 本部スタッフ
  • この4月から関西支部を兼務している啓発普及部GSM担当の吉田俊通です。

    2018年12月から2020年2月の間、タイのチェンライ県・ラノーン県、フィリピンのヌエバビスカヤ州・南イロコス州・アブラ州、ミャンマーのマグウェイ地域エサジョ郡・マンダレー地域チャウマジ郡のオイスカ現場最前線をじっくり歩きました。ミャンマー行きは、コロナ禍が始まるギリギリのタイミングでした。

    左からタイ、フィリピン、ミャンマー

    海外の現場がどういう10年を過ごしたのか、いま何を目指しているのかを理解したうえで、オイスカとしてのSDGsへの貢献、オイスカの10ヵ年計画を、広報・資金獲得の目線で考えるために。

    先日、オイスカFacebookなどのSNSで現在発信している「私が残したい風景」という企画でフィリピン・アブラ州の写真(コロナ禍前の2019年3月に撮影)を紹介しました。タイ、フィリピン、ミャンマーへの一連の出張以来、「オイスカの手でこういう風景を新たにたくさん創って残したい」という気持ちがいつでも自分の心の中にあります。

    「私が残したい風景」
    水源林をつくり息を吹き返した棚田のほんの一部(フィリピン アブラ州)

    この写真は、オイスカアブラ農林業研修センターのデルフィン・テソロ所長の慧眼と助言や、地すべり地形とその特有の水脈の活かし方を、約400人の村人が理解し、村の自助努力で50haの水源林造林に取り組んだ結果、息を吹き返した棚田のほんの一角です。これは、焼畑農業を営む山岳民族のBila Bila小学校で2002年に始まった「子供の森」計画の活動で植林した1haをきっかけに、はげ山地帯に50haもの森林が新たに生まれた好事例です。

    「こんなに山奥でも年に2度、米が収穫でき、果樹、林産物が豊富になった」

    「木を植える意味が分かった。もう、これまでのような(収奪型)焼畑はしない」

    と、村のリーダーや教員たちから聞きました。

    こういう村人の自助自立型の森がありながら、残念ながらデルフィン所長以外は誰も踏査していない10ha以上の規模の森林が7ヵ所ほどあると聞きました。

    もう一つ嬉しいことがありました。

    50haをみっちり踏査するとき、大きな鉈(なた)を振って道を伐開して歩くその先頭を、地元出身の技能実習生OBのトライ君(大阪府の平井工業(自動車整備)にて技能実習)が買って出てくれたことです。日本語も堪能で、自信を持って森を案内する姿には舌を巻きました。いまはこの山奥で会社を興しており、日本でお世話になった実習先への感謝の言葉を終始語ってくれました。
    50haの一角にある「子供の森」計画として植えた学校の森も案内してくれましたが、ここは風当たりが強い凸地形の尾根沿いにあるため風害を受け、再び植栽をしたばかりでした。

    技能実習生として日本での自動車整備の実習経験があるトライ君

    アブラ州・南イロコス州は「災害の百貨店」でした。

    生きていくには厳しく、私の地元近くの「秩父盆地」の昔と同じように感じました。台風による風倒木は「台風間伐」と表現したいほど。風害による住居や学校などの損傷もひどく、車で走っていると目に入るのは、貧弱な山間部農地の土壌、基岩が露になった見渡す限りのはげ山、土砂流出で上昇した河床。10分も進めば、現在進行形の山火事が3つも4つも目に入る現状もありました。ほかにも「輪中」を築きたくなるような洪水と隣り合わせの集落、そして水害と真逆の干害の現実も。
    広報・資金獲得を担う立場から見ると、オイスカだからこそできる大きなポテンシャルを感じ、続く案件形成、ファンドレイズのヒントが湯水のように生まれました。

    コロナ前の一連の出張の総括として、

    「前の10年で現場最前線は腕を上げ、大きな結果を出している」と私は考えています。

    「より事業規模でモノを考えている」とも言えます。

    「子供の森」計画を通じた小規模な植林をパイオニア的・戦略的に進める中で、住民との関係を構築し、植林規模を面的に拡大して15年ほどが経過した地域において、暮らしが劇的に変わった事例を他の国でも何ヵ所も見ました。

    ミャンマー・エサジョ郡などでは、「子供の森」計画支援校との数多のネットワークを活かし、WFPと協働で「School Garden(学校菜園)」を展開し、児童のみならず集落の栄養改善を進めています。

    フィリピン・ヌエバビスカヤ州の600haのはげ山造林地の麓「水無村」という意味を持つ名のキラン村では、米が年に3回収穫できるようになりました。

    北部タイのパボン村の空っぽだった溜池は満水となり、沢特有の山菜や、数々の林産物、入漁料収入までも得られるまでになりました。

    私が把握できていない成功例は、100も200も、きっと、それ以上あるのだと思います。

    わがオイスカの現場の凄みを把握し、理解し、外に向けて表現できていないことは、私たちの大きな課題です。自分で見た光景をいつも胸に、コロナ以来、世界で活かせる日本の「生態系を活かした防災・減災(ECO-DRR)」技術を自分自身が深めることに費やし続けています。
    私が関わってきた宮城の海岸林や居久根(屋敷林)などは、世界で活用できる基本中の基本の技術、考え方に溢れています。自分自身は徹頭徹尾、実践者の立場でありたいですが、今後を担う各国の若い人達と、Bila Bila村の棚田のような風景を、自分たちの手で新たに創って残したいと思っています。

    住み続けられる未来へ。

    自分自身の一日一日を大切に使っていきたいと思います。

    2023オイスカ夏募金へのご協力をよろしくお願いします。

    この秋、アブラ州などフィリピン北部の現状をお伝えする行事を大阪で企画します。その準備と資金獲得のために今日も大阪を歩きます。

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