2023年6月21日

40年前の研修が今も息づく ~ タイ スリン県 チョットさん(中部日本研修センターOB)~ 

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  • タイ駐在代表の春日です。

    5月19日に開催した「地球環境を考えるトークイベント」には、たくさんの懐かしい方々やタイに興味を持ってくださっている方々に参加していただき、とても嬉しく思いました。

    応援していただいていることを肌で感じ、またプロジェクト地のラノーン県の漁民のみんなからも直接、感謝の言葉を伝える機会をいただけたことにありがたく思っています。

    当日のレポートや動画が見られますので、ぜひご覧ください。

    春日の日本語がややおかしいのは、駐在歴長すぎということでお見逃しください。(笑)

    ↑↑ 画像クリックでレポートが見られます

    スリン県に住む大好きな2人

    トークイベントで紹介したラノーン県のプロジェクト同様に、タイ東北部のカンボジア国境に近いスリン県にも素敵な人たちがいます。

    オイスカ中部日本研修センターOBのチョットさん、そしてかつてスリン県でオイスカの研修を受けたレックさんです。

    中部日本研修センターOBのチョットさん
    当時、スリン県タサワン村にあったオイスカの研修センターOGのレックさん

    2月にスリンを訪問した時、日も暮れかけている荒野で、2人が待っていてくれました。

    私はこの2人が大好きです。

    飾らず、実直に、ひたすらに農業を営み、そして木を植えてきた2人です。

    大地を愛し、ふるさとを愛して奮闘してきた、その歴史が顔にも刻まれているようです。

    チョットさんのオイスカとの出会いは19歳、スリン県タサワン村でのオイスカの青年研修へ参加したことから始まります。

    「村で研修生を募集していたんだけど対象者がいなくってね。

    私が行くことになった。

    別に優秀だから選ばれたわけじゃないんだよ」

    と言って大笑いしていました。

    今はもうないタサワン村のオイスカ研修センターで最後の研修生として2年間、蔬菜、稲作、養豚などを実践から学んでいました。40年前の当時のタサワン村での研修は、研修といっても座学や視察など今のようにきちんとしたカリキュラムの組まれたものではなく、近隣の村人の農作業を手伝い、近くの寺の開発僧ナーン和尚とともに地域の発展に取り組むというものでした。

    日本で研修したのはタイでの2年間の研修を終えた21歳のこと。オイスカ中部日本研修センターで1年3ヵ月の農業一般研修を受けました。

    「研修が終わる3ヵ月前、5日間研修をボイコットした。

    ホームステイでの外部研修があると言っていたのになくなったことへの抗議だよ。

    結局、1ヵ月間養豚の勉強をさせてもらった」

    と日に焼けた赤ら顔で笑うチョットさんは、全く田舎のおじさんそのものだけど、学びたいこと、やるべきことにはとことんこだわるような骨のある頑固な一面も持ち合わせているのです。

    そんなチョットさんの帰国後は、日本でのボイコット事件以上に農業にこだわり、ひたすらに汗を流して今まで続けてきました。

    果樹、蔬菜、稲作、養豚と学んだことは全て地元で試しました。さまざまな試行錯誤から、学んだ技術を地元でも生かせるところは生かし、生かせないものは切り捨てて自分なりの農業をしてきたのです。

    帰国後、タサワン村の研修センターで出会ったレックさんと結婚したのですが、当時はお金もなく壁のない吹きさらしの家で、家の半分は鶏、半分は夫婦が住む家畜との雑居生活だったといいます。野菜が採れても市場まで持っていく足がない。見かねたオイスカタイの見原アイサ事務局長(当時)は、彼にバイク1台を買えるだけのお金を貸しました。その1台のバイクから、少しずつ収入を増やし、やがて精米機を買い、近隣の農家で取れたお米を精米してはもみや精米前のもみ米を一掴みもらう。お金は一切取らなかったのです。近隣の農家はどこも現金収入がそれほどない。金儲けだけを考えるのではなく、地域全体の発展や助け合いを考えてのことでした。

    『お金はどこにでも転がっている。

    その木にも、その畑にも、田んぼにも。

    お金が欲しければこの土地から探すことはいくらでもできる。

    わざわざバンコクへ出かけていく必要なんか全くないんだ』

    彼の生き方はまさに大地に根ざしています。ものを生み出す力、生きるために必要な力、そうした生命力の源が自分が今立っているふるさとのこの土から生まれてくるということを誰よりも知っています。だからこそ、何十万バーツもの借金を抱えるようなトラクターを買っても、幸せそうに笑ってこういいます。

    『わたしは貧乏なんかじゃない。お金持ちなんだ!』

    今では自分の土地も手に入れました。彼が言う『お金持ち』は、本当の意味での豊かさだと思います。色んないわゆるお金持ちや地位のある人の中にいても、チョットさんは独自の立ち位置を持ち、萎縮しません。

    彼の持つ世界観が豊かだからに他ならないのでしょう。

    こんなチョットさんの生きてきたその生き様は、オイスカの精神そのもの。

    オイスカの精神とは、言い換えれば「ブレさせない筋の通った強さ。信念」です。

    チョットさんのタイでのオイスカ活動との関わりにもブレない強さがありました。

    失敗続きの植林、でも2人は決して諦めなかった

    彼の住むスリン県プラサート郡でも10年ほど前に日本からの支援を入れて住民たちに働きかけ、何年もかけて植林事業を実施してきました。

    しかし何度やっても失敗続きでした。

    ここは乾燥していて、苗木の生存率も非常に低い土地。環境の厳しさだけではなく、森づくりへの意識が低い地域のリーダーを巻き込めなかったことが、大きな敗因のひとつでした。どんなにオイスカが頑張っても自治会長や村長が協力的だったのは最初だけ。その後は彼ら地域のリーダーたちが現場に足を運ぶことはほとんどありませんでした。

    その一方で、どんなに失敗しても、チョットさん夫妻は諦めずに頑張ってくれていました。

    森はうまく育たなかったけど、この地に住むチョットさんの中にオイスカの精神が息づいていることを私はいつも感じていました。

    そして、数年後には別の場所で見事な森を育ててくれました!

    お寺のご住職と気持ちを一つにし、ワットムーニー寺を緑でいっぱいにしてくれました。

    こんな気骨のあるチョットさんを作り上げた、オイスカでの研修がどんなものだったのか聞いてみました。

    「よくある研修は好きじゃない。本当に現場で農業をしたこともないような学者や先生が言うことなんて信用できるものか。自分で経験して、自分で学ぶのが農業だ。オイスカの研修はそういう研修だった。先生も一緒に農場へ出て、一緒に汗を流して学んだ」

    40年前のタイでの研修、38年前の日本での研修、そのどちらもが彼の生きざまの中に今も息づいているのを感じます。

    2月の訪問では、時間がなくてほんの少し会えただけでしたが、みんなに焼きココナッツと自家製のコーヒーをお土産に準備してくれていました。

    畑で自分で育てたコーヒーを焙煎して、石のすり鉢で叩いて粉にしたという機械さえも使わない本当の手作り!ビニール袋に無造作に入れられているけど、あたたかい気持ちがこもった、どんなオシャレなカフェのものよりも貴重なコーヒーです。

    豆を育てるところからすべて手づくりのとても貴重であたたかい気持ちのこもったコーヒー

    オイスカの人材育成の成果とは?

    オイスカの人材育成の成果は見えにくいと言われることがあります。でもチョットさんのように、オイスカでの研修がその後の人生に大きく影響し、自分のことより村の人たちのことを考える利他の精神で、地道にひたすらに人生を歩んでいる人がいます。これがオイスカの人材育成の成果なのです。

    こうしたことは成果として見えにくく、数値化しにくいものなのです。

    でもチョットさんのような研修生OBに出会うたび、オイスカの研修が社会で大きな役割を持っていることを感じます。

    6月15日から「2023オイスカ夏募金」が始まっています。

    こうしたオイスカの活動をぜひ応援してください。

    よろしくお願いします。


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