アッサロームアライクム!(←ウズベク語)
こんにちは! 元オイスカ学生インターンで、この春からウズベキスタンのプロジェクト調整員となりました青山です。
27日(月)よりウズベキスタンに参りました!
27日の夜から29日の朝までは、首都のタシケントにおりました。タシケントは空気がカラッとしていて、昼間は若干暑いですが、朝晩は涼しくてお散歩している人もちらほら。朝から清々しいです。
タシケントの様子を少しですが、お届けします。
タシケントは日本から飛行機で10時間ほど。韓国を経由してきました~
まずは、生活する上で欠かせない言語!
タシケントの共通言語は、ウズベク語とロシア語。2言語あるんかーい!
どちらも日本人にとってはあまり馴染みがないですね~
私もまだまだ勉強不足で、誰がどっちの言語を話しているか分かりません。
ちなみに、ウズベク語だけでないのは、ウズベキスタンが元々ソ連であり、1991年のソ連崩壊に伴って独立したからなんですね。歴史を学ぶいい機会になりました。
続いては皆さん気になるであろう食事。
ウズベキスタンの主食は、小麦粉料理!パンが多いです。麺もありますよ~
さらに、お米もあるんです!まだ食べていませんが、プロフという油で炒めたお米料理は、早く食べて皆さんに写真をお届けしたいです。
あとは、乳製品やナッツも多いです!
チーズやヨーグルトといった乳製品の種類が豊富で、ウズベキスタンは中央アジアですが、ヨーロッパ気分も味わえます。
街並みもヨーロッパのような雰囲気が感じられる気がします(行ったことはありませんが)。
道がすごく広くて、左右には並木が、しっかり手入れをされて並んでいる様子が分かります。
緑が本当に沢山あって、お花も植えられていて…
日本だと、高い木の間に低い木(ツツジなど)が生えていますよね。
こちらは、高木が日本よりも生い茂っているのか、すごく緑の量が多い気がします。幹が多くて、沢山の分岐が見られます。
そして、そんな高木の間は芝生で覆われていて、ところどころに可愛らしい花が咲いています
そんなタシケントの日本との繋がりは、ナヴォイ劇場!
実は、戦後に日本人が建てた劇場なんです。
第二次世界大戦の後、シベリア抑留でウズベキスタンに連れられた日本人が1945年から2年かけて建設、1947年に完成しました。
1966年に大地震が起きた時も、この劇場は壊れずに残っていたそう。
日本の技術はこの時からすごかったんですね!
ウズベキスタンは親日国なのですが、この劇場が一つのきっかけだったのだとか。日本人のまじめさが、現地の人に好印象だったのでしょう。先人方が残してくれた繋がりが今も残っていることは、すごいことだし、先人の方々の努力は想像できません…感謝です。
以上、ウズベキスタン(タシケント)3日間の滞在の様子を、現場からお伝えしました
「こんなこと知りたい!」「これもっと詳しく教えて!」
などありましたら、お気軽にお声掛けください!私自身も、色んなメガネで見られた方がより現場を楽しめるので、皆さんの『気になる○○』もぜひ教えてください~!!
それでは!コーリッシュグンチャ(またね!)