本部・啓発普及部の藤目です。
「植物は『知性』を持っている」
著者ステファノ・マンクーゾ アレッサンドラ・ヴィオラ NHK出版
「植物に知性はあるのか」この問をめぐっては、はるか昔から論争が繰り広げられてきた。
トマトは虫に襲われると、化学物質を放出して周囲の仲間に危険を知らせる。マメ科の植物は細菌と共生し、それぞれに必要な栄養分を交換しあう。又、別のアメリカの研究報告では、プラタナスは害虫が近づくと、緊急事態発生とばかりに、葉中の石炭酸やタンニンなどの物質を分泌し、自らの葉の毒性を強め、虫が葉を食べることを防ぐ、という。
植物は自ら動けないからこそ、植物独自の「社会」を築き、ここまで地球上で繁栄してきた。植物に知性がある、とはなんともSF的な発想だが、決して人間の脳や神経が植物にあるわけではなく、それに代わる植物の感覚(一説では人間の五感以上の20もの感覚)で水や光を知り、外的を防ぎ、遠ざけ、仲間を守る力を備えている、というのだ。
「はじめに緑があった」地球上にはじめて生まれた生物は光合成をおこなう生細胞で、およそ30億年以上前にあらわれた。いっぽうで最初の人類らしき生物(動物)が地球上に約20年前に現出している。人間は生き物のなかでも「いちばんの新参者」であり、植物の長大な生き物としての歴史の末端にぶら下がっている、にすぎない。
地球上の生物量(バイオマス)のうち、動物と植物を比較すると、植物は99.5%を占めており、地球上の多細胞生物の総重量を100とすると植物の総重量は99.7%,一方動物(人間を含め)は、わずか0.7%とわずかな重量でしかない。全く地球は植物の星といえる。
オイスカの富士山の森づくりでは毎年植樹した樹木を訪ね、鹿の食害で傷を負った苗木を整え、鹿防護のネットを補修しているが、樹木は毎年我々が山に登ってくることを待ち望んでいるのではないか。吹く風に乗せ、陽を浴びた葉を震わせ、山に入る我々を迎えてくれている、と感じる瞬間がある。富士山の森作りは100年続く森を目指しているが、樹木の永い一生の中で、束の間触れ合った我々の声や触れ合いを記憶し、100年の森の歴史を育ててくれるのではないか。
日比谷公園/松本楼の大イチョウ 関東大震災や大戦の災禍にも生き抜いた。