こんにちは。香港在住の石見です。
私は、来港して23年目になりますが、私の思いを最後に綴ります。
オイスカインターナショナル中野副総裁ご一行と黒田副総裁、
香港総局の主な役員と歓迎昼食会を催した際のこと、
中野副総裁から次のお話をされました。
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「オイスカインターナショナル黒田副総裁(当時25歳)がこの地・香港に渡航する際、創設者である中野與之助翁が、横浜港の埠頭に立たれ見送りされたのは、1963年3月のまだ風が吹きすさぶ肌寒い日のことだった。中野創始者は心筋梗塞を患いペースメーカーを入れており、その身を案じ、周囲の者たちが車に乗るよう促したが、創始者は船の帆先が見えなくなるまで長時間立ち続け見送られた。創始者が海外派遣員を見送りされたのはこの一回だけであった。
今、ここ香港にあって、当時の創始者の立ち姿を思い起こすとき、その想いが如何ばかりであったかとしみじみ想い起される。当時4名の若者が香港に渡ったが、現在もオイスカ活動に従事しているのは黒田副総裁一人である。黒田副総裁は香港に渡りその年に香港総局の設立に関わり、56周年記念行事の日を迎えた。創始者の想いは今日につながっている」
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56周年の記念行事を行なうにあたり、当時の中野創始者の想いを深く受け止めさせていただきました。
これからも、黒田副総裁、また、諸先輩の指導を仰ぎながら、香港総局一丸となって活動して行きたいです。
これからもオイスカ香港をどうぞよろしくお願いいたします。