こんにちは。
明治大学の講座でボランティア活動をしている真野と申します。
今回はオイスカの活動のひとつであるフィジーでの農業研修について 私なりに理解したことをお話したいと思います。
さて、皆さんは「フィジー」と聞いてどんなイメージを持っていますか?
のんびりとしてて、マイペースで、温和で、自然が豊かで…。 そういうイメージを持った方が多いと思います。
現在、フィジー政府の青年スポーツ省が運営する研修センターで オイスカはその農業部門を任されています。
オイスカがなぜフィジーで農業研修をしているのか。
それを説明するために、まずは植民地時代からの歴史を見てみましょう。
イギリスでは18世紀後半から19世紀にかけて産業革命が起こりました。
18世紀にインドでの綿布の需要が増大して、イギリス国内で綿布工業が発達。 紡績の機械化が進みました。また、最初に産業革命を成したイギリスは、 フランス・オーストリアとの戦争にも勝ち、多くの海外植民地を手に入れました。 それによってイギリスは大量の資産物資と新しい市場の獲得に成功しました。
フィジーは1874年にイギリスに植民地化されました。 そしてインド人は、サトウキビのプランテーションで働く労働者として 大量にフィジーへ移住させられました。 現在フィジーに約半分のインド系住民が住んでいるのは、 労働者として移住させられた後、フィジーの気候を好んで国へ帰らずに 定住した人が多くいたからだと言われています。
フィジーにのんびりとしてマイペースな人が多いのは、汗水流して一生懸命働かなくても 周りに自然があり、十分に生活できる環境だからとも言われています。 インド人が移住させられたのは、フィジー人が思うように働かないからだとという説もあります。
イギリス人によって重労働を課せられたインド人ですが、 その勤勉さもあってフィジーの経済を牛耳ることに成功しました。 しかし、政治自体はフィジーでの伝統的なものを踏襲していたり、 インド系住民には土地の所有は認められていない等、 インド系とフィジー系の社会的ないがみ合いも国内に内在しています。
そのような歴史を持っているフィジー。 そこで最初の質問に戻りましょう。
なぜオイスカがフィジーでの農業研修を任されているのでしょうか。 「フィジー系の人々の働く意識を向上させたい」という思いがあるのではないかと思います。
フィジーの経済はインド系住民の働きによって成り立っています。 ですが、フィジー系の住民にも働く意欲を持って、自国の発展のために 貢献できるようになってもらいたい。そんな思いで「農業研修」が行われているのです。 フィジーの研修センターでしっかり農業を学んだ青年が、 日本国内の研修センターでさらなる研修を受けることもあります。 彼らは1年間、日本で農業研修を受け、国へ帰ってその技術を教えます。 それをサポートするのもオイスカの仕事です。
現在、フィジーの研修センターでは、日本で研修生として学んだ OBが現地の青年たちに「働く」ことを教えながら農業指導を行っています。 具体的な活動内容はまたあらためてお話したいと思います。