2015年10月5日

感動!光り輝く祈りの島スリランカ!!⑩ 最終回

  • 国内スタッフ
  • アーユーボワン!(こんにちは)、四国支部の池田です。

    長らくご愛読いただいたスリランカ・レポートですが、一先ず今回で終わりとさせていただきます。 さて、今回は・・・。
    池田さん 無題スリランカ滞在の最終日、コロンボ市内の日本人墓地を訪ねた時のお話しです。

    私は過去、フィリピンとパラオにオイスカ開発団員(当時。現在は駐在員に改称) として派遣していただいたことがあり、赴任国で少しだけ、先の大戦で亡くなられた方々への 日本からの慰霊団を受け入れさせていただいたことがありました。
    嘗ての兵士ですが、お年を召され年配となっても、凛とした雰囲気と誠実さを感じ、 この人達が本当に(私の受けた)学校教育で教えられた酷い行為を行った 軍人の一人だったと思うことはできませんでした。

    オイスカの活動地の多くは、日本の近隣諸国、すなわち嘗て戦場だった アジア太平洋地域であることから、私が同地域を訪問の際は可能な限り、 慰霊碑や日本人墓地など訪ねるように心がけています。
    (まだ少ないながらも、今では若い日本人が手を合わせる姿も 各地で見られるようになったそうで、本当に有り難いことと思います。)

    ikedasann 4池田さん

    この日本人墓地は、市営墓地の一画にあることや現地の日本人会も管理に関わっていることから、大変きれいに整備されており、当日も、職員や作業員の人達が清掃活動など行っていました。

    墓地には、1942年4月に日本帝国海軍の120機の爆撃機がコロンボとトリンコマリーを空爆した際、その内の1機が英国軍に追撃され、死亡した3人の日本人乗組員の霊を慰めるために慰霊碑が建てられ、しっかり管理されていましたが、私の訪問目的は、更にもう一つありました。それは・・・、

    オイスカでは過去、海外プロジェクト地で活動中に尊い命を落とされた方が3名いらっしゃいます。

    直近ではフィジーの澤井勝之駐在代表(参考)ですが 、スリランカでは1976年11月、関谷隆男開発団員(当時)が 脳性マラリアのため28歳という若さで逝去しています。 1989年(平成元年)にオイスカとの関わりが始まった私は、 関谷氏と面識はありませんが、かねてより、スリランカを訪ねる機会があれば、 墓前で手を合わしたいと思っていました。

    当初の日程では、日本人墓地訪問は入っていなかったのですが、 事務局を通じて参加者や旅行会社に確認していただいたところ、 皆様から理解を得られ、長年の希望を叶えることができました。

    池田さん6 池田さん7

    関谷様の墓前では、日本をはじめ世界で展開しているオイスカの活動について 報告させていただくとともに、オイスカ草創期に海外と日本国内で活動に参加 あるいは支援して下さった方々のお陰で、現在があることに感謝を申し上げました。
    一緒に墓地を訪ねて下さった皆様からは「手を合わせることができて良かった。 オイスカの活動には、このような方の存在もあったことを知ることができ、 オイスカへの理解が深まった。」などの言葉をいただきました。

    今回スリランカを初めて訪問しましたが、参加メンバーにも恵まれ、 得るところの大きな旅でした。
    (詳細はコチラ☞ スリランカツアー

    やはり、Seeing is believing!

    これからも時間を作って、オイスカの海外プロジェクトも訪ねようと思っており、 次の訪問場所の選定を始めたところですので、新たなレポートを楽しみにしていて下さい。

    ブログ読者の皆様、今回は長々と10回もお付き合いいただき、 本当に有り難うございました。 それでは、また。 ボハマ ストゥーティー!

    池田さん8 池田さん9

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