海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
11月17日、名取でのボランティア受入翌日、台風19号被災地に行きたいと
言っていた林広報室長と「丸森・軽トラ大作戦」という新聞記事に反応。
荷物が載せられるなら軽自動車でもいいと言われたので余計に火が付きまして。
前日名取に来てくれた36人のうち、建設会社のMさん、猪鍋をつくったMさん、
東京のIさん、Wさん4人がそれぞれ丸森に来ました。来週はダンプ運転手のSさんも行くと。
たまたま会った建設会社のMさんは「昨日は徹夜で頑張りました。眠たいです。
復旧は5年はかかる。名取と丸森に何回でも行きます」と。
道中1時間。よく見れば、排水路を塞いで被害を多くした稲藁は、名取でもどこでも
まだ至る所に残っています。泥をかぶった藁は牛も食べません。飼育用の稲藁不足は
深刻だそうです。また「丸森の山崩れは150ヵ所、被害状況を掴むこと自体が難しい」と
県の森林整備課の方からも聞いています。自衛隊は昨日引き上げ。
ボランティアセンターでは、到着したばかりのボランティアが指示が来るまで整列。
配置先が整うまで待つのも大変。県内の社会福祉協議会などの応援職員が休みもなく、
駆け回っていました。その中に知り合いの連合宮城の元幹部の方がいてビックリ。
当然、司令塔は寄り合い。
何人来るかわからないボランティアを班分けし、配車し、
道具を揃え、要請先まで遅滞なく送り届ける調整の過酷さは想像に余りあります。
この日、軽トラ大作戦に応じたのは30台。我々は待機する間もなく指示を受け、
約10人が2台に分乗。我々は一輪車、スコップ、バケツなどを搭載して移動。
途中、津波直後と変わらない光景があり、泥と格闘する人たちも。
田畑に積もった氾濫土の下には無数の石とガレキが埋もれているだろう。
着いたのは大内地区の建材会社駐車場。雉子尾川という小川の横。鮭も死んでいた。
今日は休日。年配の社長さんが一人。挨拶のゆとりもなく敷地内駐車場の片付け中。
すぐに目を付けてくださり、「車両10台ダメになってしまった。流された車2台を
4tトラックで引っぱり出してほしい」と指示を受けました。
「1.5m水に浸かったんだ」と。トラックの中は泥だらけ。
その後、流された駐車場の敷砂利を元に戻す作業。建材屋ですから釘も落ちている。
ユンボがあれば、簡単に終わる仕事ですが、待っても来る見込みはないのでしょう。
一輪車だのスコップだのは慣れていますが、あらためてきつい仕事。
他の皆さんと一緒に本気出しました。
「奈良や東京からも来てくれたと聞いています。ボランティアさんがこんなに
頑張ってくださることを初めて知りました」と社長さん。
林業会社に勤め始めた頃のような筋肉痛。でも、ただの疲れとは全然違う感覚。
右も左もわからない場所で、無言で一兵卒になると多くの気付きがあり、
名取に来てくれる人の気持ちにも少し近づけました。