こんにちは!啓発普及部の柿沼です。
先日、西村千代子さんにお会いしました。
オイスカの会員を30年間も(!)継続していただき、 その感謝状をお持ちしていろいろなお話を聞いてきました。満90歳。 世間では高齢者と呼ばれる人でもオイスカに関わる方はとても元気。 常々感じていましたが、それを痛切に感じた一日となりました。
西村さんは女学校を出て、教師の資格を取り、41年間教師として勤められ 多くの子ども達を教えてこられたそうです。その後、アジア友の会やオイスカで 本格的にボランティア活動(!)をするために早期退職をされました。
教員時代には子ども達や近隣の人のお世話を親身になってされたり、 踊り、ボランティア等々をされたりする中で広い人脈を築かれてこられたそうです。
その結果、非常に豊かな人生を送ってきましたと語る西村さんの笑顔に、 すっかり引き込まれました。
猛烈な早口でたくさんの話を聞きましたが印象に残った話は戦時中の話です。 東京の空襲の後、川崎から上野の方まで親類の様子を見にいった時の光景です。
橋の両側から逃げてきて立往生したままリヤカーがそのまま、橋の上で焼けていた。 隅田川の両側は死体と焼けた布団と材木で2/3が埋まっていた。 死体を確認しながら船に乗せていく人々。 戦争中は子ども達と明日会えるかどうか分からないと言いながら毎夕に別れたそうです。
私はお聞きした細かな描写を書き切ることはできませんが、「本当に戦争はひどい」。 聞きながら辛くなりました。
オイスカ四国研修センターで広島平和記念資料館に海外の研修生を引率していましたが、 広島の話ということで、特別なものとしか捉えていませんでした。 身近にこんなにリアルに話してくださる方にあったのは初めてでした。
ただ、平和な日常に慣れ切っている私にはそう簡単には受け止めきれないお話でした。 でも、しらなければいけない話だと思いました。
西村さん、本当にありがとうございました。
西村さんから学んだこと。元気でいる秘訣は「よく話すこと」、「笑顔」、「楽しむ心」!!!