海岸林再生プロジェクト担当の吉田です。
12月1日の大阪マラソン。2014年から寄付先団体に選ばれ、大阪とのご縁は年々深くなっています。
「水都」大阪。昔は海。いまも低地。淀川より低い位置に街があります。
津波・高潮からどう守っているのか不思議でした。関心のきっかけは「ブラタモリ」。
この出張中、「津波・高潮ステーション」(運営:大阪府。地下鉄「阿波座」駅下車すぐ。火曜定休。
10-16時。無料)に行き、府職員OBの方の説明のおかげで、短い時間で理解できました。
「短い」と言うのは不正確で、あまりに分かりやすい説明に、こちらが2時間近く食い付き。
そのあとも離れ難く、一人でもう1周。この日は団体視察が4件。「世界中から来てくれる」と。
昭和になっても大阪は、室戸台風など高潮・洪水の大被害を受けています。
いまの繁栄への抜本的解決策の代表例は、津波・高潮から守る「3大水門」(安治川水門・木津川水門・尻無川水門)による防御ラインと、「巨大排水機」(毛馬閘門・けまこうもん)のセット。
片や高潮を食い止め、片や3つの主要河川の雨水を淀川に排水する。
2018年9月の台風19号の時など、いざと言う時に「1秒で25mプール一つ分の雨水を排水する」という能力。ほんとうに偉大な施設群。感服するばかり。
日本最古の堤防(茨田堤)も大阪だそうです(日本書紀に記述あり)。昔の淀川は、はげ山からの土砂堆積で河床が上がり、長い水害との戦い、水運にも難があったそうです。
明治時代にはオランダからのお雇い外国人デ・レーケ氏は、大阪でご夫人をコレラで亡くしながらもその解決にあたり、不動山(京都府)などの治山工事や、淀川の山砂を大阪湾の海底に押し流す工事(ソダ沈床工)など母国の技術を日本に伝え、海外で治水を学んだ日本人がその後活躍しました。
かつてのような水害から免れるようになったのは50年前。
本当に困っている人を守るための素朴な正義感と、桁違いの知力、努力。
きっと東京もそういう陰の努力があるのだろう。